「取れる」(とれる)が出てくる聖書の箇所

「取れる」(とれる)は日常訳第1版の25か所(旧約19・新約6)に出てきます。「とれる」「採れる」も含みます。口語訳では7か所。

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創世記(3か所)

創世記2:12 その地ちの金かねは質しつが良よい。そこではブドラクという樹脂じゅしや、しまめのうという宝石ほうせきも取とれる。

創世記4:3 しばらくして、カインは畑はたけでとれた作物さくもつを主しゅへの供そなえ物ものとして持もってきた。

創世記41:48 ヨセフは、エジプト全土ぜんどで取とれた七なな年ねん分ぶんの食糧しょくりょうをすべて集あつめた。そして、それぞれの町まちに食糧しょくりょうを蓄たくわえさせた。町まちの周まわりの畑はたけで取とれた食糧しょくりょうを、その町まちの中なかに納おさめさせたのだ。

レビ記(2か所)

レビ記25:22 あなたたちは八はち年ねん目めに種たねをまくが、それまでに取とれた古ふるい作物さくもつを食たべ続つづける。九きゅう年ねん目めになって新あたらしい作物さくもつが実みのるまで、古ふるいものを食たべていける。

レビ記27:30 地ちから取とれるものの十じゅう分ぶんの一いちは、地ちの種たねであれ木この実みであれ、すべて主しゅのものである。それは主しゅにささげられた聖せいなるものである。

民数記(3か所)

民数記13:27 彼かれらはモーセにこう話はなした。「わたしたちは、あなたが送おくり出だしてくれた土地とちへ行いってきました。あそこは本当ほんとうに、乳ちちと蜜みつが流ながれる豊ゆたかな土地とちです。これがそこで採とれた実みです。

民数記18:27 そうすれば、あなたがたのそのささげ物ものは、脱穀だっこく場じょうから取とれた穀物こくもつや、酒さけぶねから取とれたぶどう酒しゅと同おなじように認みとめられる。

民数記18:30 また、彼かれらにこう言いいいなさい。あなたがたがその中なかからいちばん良よい部分ぶぶんを差さし出だすなら、それはレビ人びとにとって、脱穀だっこく場じょうや酒さけぶねから取とれた収穫しゅうかくと同おなじように認みとめられる。」

申命記(3か所)

申命記8:8 小麦こむぎと大麦おおむぎ、ぶどうといちじくとざくろのある地ち。オリーブの油あぶらと蜂蜜はちみつのとれる地ちだ。

申命記14:22 毎年まいとし、畑はたけから取とれる収穫しゅうかくのすべてから、必かならず十じゅう分ぶんの一いちをささげなさい。

申命記26:2 あなたの神かみである主しゅが与あたえてくださる地ちで取とれた作物さくもつの、そのすべての初物はつものをかごに入いれなさい。そして、あなたの神かみである主しゅがご自分じぶんの名なを置おくために選えらぶ場所ばしょへ持もって行いきなさい。

サムエル記下(1か所)

サムエル第二24:9 ヨアブは民たみを数かぞえた総数そうすうを王おうに報告ほうこくした。イスラエルには剣けんを取とれる勇敢ゆうかんな男おとこが八十はちじゅう万まん人にん、ユダの男おとこは五十ごじゅう万まん人にんいた。

列王紀下(1か所)

列王紀下3:21 一方いっぽう、モアブの人々ひとびとはみな、王おうたちが自分じぶんたちと戦たたかうために攻せめ上のぼって来きたと聞きいていた。それで、武器ぶきを取とれる年としごろの男おとこから上うえの者ものまで全員ぜんいんが呼よび集あつめられ、国境こっきょうに立たちはだかった。

歴代志上(1か所)

歴代志上27:27 ぶどう畑はたけを管理かんりしたのは、ラマ出身しゅっしんのシムイ。ぶどう畑はたけから取とれたぶどう酒しゅを蔵くらに納おさめる仕事しごとを管理かんりしたのは、シフミ出身しゅっしんのザブディだった。

箴言(1か所)

箴言24:13 息子むすこよ、蜜みつを食たべなさい。それは良よいものだ。蜂はちの巣すからとれた蜜みつは、あなたの口くちに甘あまい。

イザヤ書(1か所)

イザヤ書5:10 十じゅう組くみの牛うしで耕たがやすほどのぶどう畑はたけから、とれるぶどう酒しゅはたった一いちバテ。一いちホメルの種たねをまいても、収穫しゅうかくはたった一いちエファしかない。

エゼキエル書(2か所)

エゼキエル書15:3 そこから、何なんかを作つくるための木材もくざいが取とれるだろうか。物ものを掛かけるための杭くいひとつでも、そこから取とれるだろうか。

エゼキエル書48:18 聖せいなる区画くかくに沿そって残のこる土地とちは、長ながさが東ひがしへ一いち万まんキュビト、西にしへ一いち万まんキュビトだ。これは聖せいなる区画くかくに沿そっていて、そこで取とれる作物さくもつは、町まちで働はたらく人ひとたちの食たべ物ものになる。

ハガイ書(1か所)

ハガイ書2:16 あのころ、二十にじゅう升しょうとれるはずの麦むぎの山やまに行いっても、十じゅう升しょうしかなかった。五十ごじゅう桶おけくもうと搾しぼり場ばに行いっても、二十にじゅう桶おけしかなかった。

ルカによる福音書(3か所)

ルカ5:5 するとシモンは答こたえた。「先生せんせい、わたしたちは一いち晩ばんじゅう働はたらいたのに、何なんもとれませんでした。でも、あなたがそう言ゆうなら、網あみを下おろしてみます。」

ルカ5:9 とれた魚さかなのあまりの多おおさに、シモンも一緒いっしょにいた者ものたちもみな、驚おどろきに包つつまれていたのだ。

ルカ6:44 木きはどれも、その実みを見みれば何なんの木きかわかる。とげのある茂しげみからいちじくは採とれないし、いばらからぶどうは採とれない。

ヨハネによる福音書(2か所)

ヨハネ21:3 シモン・ペテロが「わたしは漁りょうに行いく」と言ゆうと、みんなは「わたしたちも一緒いっしょに行いく」と答こたえた。そして出でかけて舟ふねに乗のった。でも、その夜よるは何なんもとれなかった。

ヨハネ21:6 イエスは言いった。「舟ふねの右側みぎがわに網あみを投なげてみなさい。そうすれば、とれるはずだ。」そこで彼かれらが網あみを投なげると、あまりにたくさんの魚さかながかかって、もう網あみを引ひき上あげることができなかった。

ローマ人への手紙(1か所)

ローマ1:20 神かみの見みえない性質せいしつ、つまり神かみの永遠えいえんの力ちからと神性しんせいは、世界せかいが造つくられたときから、造つくられたものを通とおしてはっきりと見みて取とれる。だから、彼かれらには弁解べんかいの余地よちがない。

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