「友」(とも)が出てくる聖書の箇所
「友」(とも)は日常訳第1版の63か所(旧約49・新約14)に出てきます。口語訳では81か所。
出エジプト記(2か所)
出エジプト32:27 モーセは彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『それぞれ剣を腰につけ、宿営の中を入り口から入り口へと行き来して、兄弟も、友も、隣人も殺せ。』」
出エジプト33:11 主は、人が友と語り合うように、モーセと顔と顔を合わせて語られた。それからモーセは宿営地に戻った。しかし彼の従者で、ヌンの子である若者ヨシュアは、天幕を離れなかった。
申命記(1か所)
申命記13:6 あなたの兄弟、つまり同じ母から生まれた者や、あなたの息子や娘、愛する妻、自分自身のように大切な友が、ひそかにあなたを誘って、「さあ、ほかの神々に仕えよう」と言うことがあるかもしれない。それは、あなたも先祖も知らなかった神々、
サムエル記下(3か所)
サムエル第二15:37 こうして、ダビデの友フシャイは町に入った。ちょうどそのころ、アブサロムもエルサレムに入ろうとしていた。
サムエル第二16:16 ダビデの友であるアルキ人フシャイがアブサロムのところに来ると、彼はアブサロムに言った。「王様、万歳。王様、万歳。」
サムエル第二16:17 アブサロムはフシャイに言った。「これがお前の友への忠義なのか。どうして友と一緒に行かなかったのだ。」
歴代志下(1か所)
歴代志下20:7 わたしたちの神よ。あなたは、あなたの民イスラエルの前から、この地に住んでいた人々を追い払ったではありませんか。そして、この地をあなたの友アブラハムの子孫に、永遠に与えてくださいました。
ヨブ記(10か所)
ヨブ記6:14 友を思いやることをやめる者は、全能者を敬う心も捨ててしまう。
ヨブ記6:27 孤児のためにくじを引き、友さえも売り飛ばそうとする。
ヨブ記16:20 わたしの友はわたしをあざ笑う。でも、わたしの目は神に向かって涙を流す。
ヨブ記16:21 どうか、だれかが神の前で人のために訴えてくれますように。 人が友のために訴えるように。
ヨブ記17:5 分け前を得るために友を売る者は、その子どもたちの目もつぶれてしまう。
ヨブ記19:14 わたしの親戚は去っていき、親しい友もわたしを忘れてしまった。
ヨブ記19:21 友よ、わたしをあわれんでくれ。どうか、わたしをあわれんでくれ。神の手がわたしを打ったのだから。
ヨブ記32:3 またエリフは、三人の友に対しても怒りに燃えた。彼らはヨブに反論できないのに、ヨブを悪いと決めつけていたからだ。
ヨブ記42:7 主はこれらの言葉をヨブに語り終えると、テマン人エリファズに言った。「わたしは、あなたとあなたの二人の友に対して怒っている。あなたたちは、わたしのしもべヨブのように、わたしについて正しいことを語らなかったからだ。
ヨブ記42:10 ヨブが友のために祈ると、主はヨブをもとの幸せな暮らしに戻した。そして主は、ヨブが前に持っていたすべての財産を、二倍にして返した。
詩篇(9か所)
詩篇15:3 舌で人をけなさず、友を傷つけず、隣人をそしることもしない。
詩篇35:14 わたしの友、わたしの兄弟のために悲しむように、わたしは沈んでいた。母を失って嘆く人のように、うなだれて歩き回った。
詩篇38:11 わたしを愛する人も友も、わたしの傷を前にして離れて立ち、身内の者たちも遠くに立っている。
詩篇41:9 わたしが信頼していた親しい友、わたしのパンを食べた友までもが、わたしに向かってかかとを上げた。
詩篇55:13 でも、それはあなただった。わたしと対等な人、親しい仲間、心を許した友だったのだ。
詩篇55:20 その男は、仲のよかった友に手を上げ、交わした約束を破った。
詩篇88:18 あなたはわたしから、愛する人も友も引き離した。親しい人たちは、今は暗やみの中にいる。
詩篇119:24 あなたのあかしは、わたしの喜び。わたしに助言をくれる友だ。
詩篇122:8 わたしの兄弟や友のために、わたしは「あなたのうちに平和があるように」と言おう。
箴言(14か所)
箴言7:4 知恵に向かって「あなたはわたしの姉妹だ」と言い、見抜く力を身近な友と呼びなさい。
箴言12:26 正しい人は、友を慎重に選ぶ。でも、悪い者の生き方は、自分を迷わせる。
箴言16:28 ひねくれた者は、争いをまき散らす。陰口をたたく者は、親しい友を引き裂く。
箴言17:9 過ちを見逃してあげる人は、愛を育てる。でも、そのことを蒸し返す者は、親しい友を引き裂く。
箴言17:17 友は、どんなときも愛してくれる。兄弟は、苦しみのときのために生まれる。
箴言18:24 友達が多くても、身を滅ぼすことがある。でも、兄弟よりも親しく寄り添ってくれる友もいる。
箴言19:4 富があれば、友はどんどん増える。でも貧しい人は、たった一人の友からも引き離される。
箴言19:6 多くの人が、気前のいい人の機嫌をとろうとする。贈り物をくれる人には、だれもが友になる。
箴言22:11 心の清さを愛し、話しぶりに品のある人。その友となるのは王だ。
箴言22:24 怒りっぽい人と、友になってはいけない。すぐにかっとなる人と、一緒に歩んではいけない。
箴言27:6 友がつける傷には真心がこもっている。でも、敵が何度もするキスは信じられない。
箴言27:9 油と香りは心を喜ばせる。友の親身な助言の甘さも、それと同じだ。
箴言27:10 あなたの友も、父の友も見捨てるな。苦しみに会う日には、兄弟の家へ行くな。遠くにいる兄弟より、近くにいる隣人のほうが良い。
箴言27:14 朝早くから大声で友にあいさつをする者は、かえってのろいと受け取られる。
雅歌(2か所)
雅歌5:1 わたしは、自分の庭に来た。わたしの妹よ、花嫁よ。わたしは没薬を香料といっしょに摘み、はちみつを巣ごと食べ、ぶどう酒を乳といっしょに飲んだ。さあ、友よ、食べてくれ。愛する人たちよ、飲んで、酔いしれてくれ。
雅歌5:16 その口は甘く、すべてが愛おしい。これがわたしの愛する人。これがわたしの友。エルサレムの娘たちよ。
イザヤ書(1か所)
イザヤ書41:8 けれども、わたしのしもべイスラエルよ、わたしが選んだヤコブよ、わたしの友アブラハムの子孫よ。
エレミヤ書(4か所)
エレミヤ書3:4 それなのに今、あなたはわたしに向かって、こう呼びかけるではないか。「わたしのお父さん、あなたはわたしの若いころからの親しい友です」と。
エレミヤ書6:21 だから、主はこう言われる。「見よ、わたしはこの民の前につまずきの石を置く。父も子も共にそれにつまずき、隣人も友も滅びる。」
エレミヤ書23:35 あなたがたは互いに、友にも兄弟にも、こう言うがよい。『主は何と答えられたのか』『主は何と語られたのか』と。
エレミヤ書38:22 見てください。ユダの王の家に残っているすべての女たちは、バビロンの王の家臣たちのところへ引き出されます。そして彼女たちはこう言うでしょう。『あなたの親しい友たちが、あなたをそそのかし、そして打ち負かした。あなたの足が泥にはまり込むと、彼らは背を向けて去って行った。』
ミカ書(1か所)
ミカ書7:5 友を信じるな。親しい仲間を頼るな。あなたのふところで眠る妻にさえ、うっかり口を開くな。
ゼカリヤ書(1か所)
ゼカリヤ書13:6 すると、だれかがその人に尋ねる。「では、あなたの体にあるその傷は何なのか。」その人は答える。「友の家で受けた傷だ。」
マタイによる福音書(3か所)
マタイ20:13 『友よ、あなたに悪いことをしているわけじゃない。わたしと一デナリで約束したよね。
マタイ22:12 王はその人に言った。「友よ、どうして礼服を着ないで、ここに入ってきたのか。」その人は何も言えなかった。
マタイ26:50 イエスは彼に言った。「友よ、何をしに来たのか。」すると人々が進み出て、イエスに手をかけて捕らえた。
ルカによる福音書(2か所)
ルカ12:4 わたしの友であるあなたたちに言っておく。体を殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけない。
ルカ14:10 招かれたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすれば、招いてくれた主人が来て、『友よ、もっと上の席へどうぞ』と言ってくれる。そのとき、同席している人みんなの前で、あなたは面目を保てるのだ。
ヨハネによる福音書(3か所)
ヨハネ15:13 友のために自分の命を捨てること。これ以上に大きな愛はない。
ヨハネ15:14 あなたがたは、わたしが命じることを行うなら、わたしの友だ。
ヨハネ15:15 わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているのか知らないからだ。でも、わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことを、すべてあなたがたに伝えたからだ。
ピレモンへの手紙(1か所)
ピレモン1:1 キリスト・イエスの囚人となっているパウロと、兄弟テモテから、わたしたちの愛する友であり、共に働く仲間であるフィレモンへ。
ヤコブの手紙(2か所)
ヤコブ2:23 そして、「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれた。
ヤコブ4:4 神を裏切る者たち。この世と親しくなることは、神に敵対することだと知らないのか。だから、この世の友になろうとする人は、だれでも神の敵になるのだ。
ヨハネの第三の手紙(3か所)
ヨハネ第三1:2 愛する友よ。あなたの魂が元気であるように、あなたがすべてにおいて元気で、健康であるよう祈っている。
ヨハネ第三1:5 愛する友よ。あなたは兄弟たち、しかも見ず知らずの人たちのために、まっすぐに尽くしている。
ヨハネ第三1:11 愛する友よ。悪をまねてはいけない。まねるなら善のほうだ。善を行う人は神から出た人であり、悪を行う人は神を見たことがない。