「仰せ」(おおせ)が出てくる聖書の箇所
「仰せ」(おおせ)は口語訳の33か所(旧約8・新約25)に出てきます。日常訳第1版では0か所。
出エジプト記(2か所)
出エジプト8:10 パロは言った、「明日」。モーセは言った、「仰せのとおりになって、わたしたちの神、主に並ぶもののないことを、あなたが知られますように。
出エジプト33:12 モーセは主に言った、「ごらんください。あなたは『この民を導きのぼれ』とわたしに言いながら、わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。しかも、あなたはかつて『わたしはお前を選んだ。お前はまたわたしの前に恵みを得た』と仰せになりました。
レビ記(1か所)
レビ記8:35 あなたがたは会見の幕屋の入口に七日の間、日夜とどまり、主の仰せを守って、死ぬことのないようにしなければならない。わたしはそのように命じられたからである」。
民数記(1か所)
民数記9:8 モーセは彼らに言った、「しばらく待て。主があなたがたについて、どう仰せになるかを聞こう」。
ヨシュア記(1か所)
ヨシュア記2:21 ラハブは言った、「あなたがたの仰せのとおりにいたしましょう」。こうして彼らを送り出したので、彼らは去った。そして彼女は赤いひもを窓に結んだ。
列王紀上(1か所)
列王紀上20:4 イスラエルの王は答えた、「王、わが主よ、仰せのとおり、わたしと、わたしの持ち物は皆あなたのものです」。
詩篇(1か所)
詩篇119:91 これらのものはあなたの仰せにより、堅く立って今日に至っています。よろずのものは皆あなたのしもべだからです。
エレミヤ書(1か所)
エレミヤ書11:5 そして、わたしがあなたがたの先祖に、乳と蜜との流れる地を与えると誓ったことを、なし遂げると。すなわち今日のとおりである」。その時わたしは、「主よ、仰せのとおりです」と答えた。
マタイによる福音書(1か所)
マタイ22:44 すなわち『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。
マルコによる福音書(2か所)
マルコ12:32 そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。
マルコ12:36 ダビデ自身が聖霊に感じて言った、『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。
ルカによる福音書(3か所)
ルカ14:22 僕は言った、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席がございます』。
ルカ20:39 律法学者のうちのある人々が答えて言った、「先生、仰せのとおりです」。
ルカ20:42 ダビデ自身が詩篇の中で言っている、『主はわが主に仰せになった、
ヨハネによる福音書(3か所)
ヨハネ12:50 わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」。
ヨハネ20:18 マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。
ヨハネ20:22 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
使徒行伝(10か所)
使徒2:17 『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
使徒2:34 ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、『主はわが主に仰せになった、
使徒4:25 あなたは、わたしたちの先祖、あなたの僕ダビデの口をとおして、聖霊によって、こう仰せになりました、『なぜ、異邦人らは、騒ぎ立ち、もろもろの民は、むなしいことを図り、
使徒7:3 仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。
使徒7:6 神はこう仰せになった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。
使徒7:7 それから、さらに仰せになった、『彼らを奴隷にする国民を、わたしはさばくであろう。その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう』。
使徒8:24 シモンはこれを聞いて言った、「仰せのような事が、わたしの身に起らないように、どうぞ、わたしのために主に祈って下さい」。
使徒9:15 しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。
使徒11:16 その時わたしは、主が『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によってバプテスマを受けるであろう』と仰せになった言葉を思い出した。
使徒15:18 世の初めからこれらの事を知らせておられる主が、こう仰せになった』。
コリント人への第一の手紙(1か所)
コリント第一14:21 律法にこう書いてある、「わたしは、異国の舌と異国のくちびるとで、この民に語るが、それでも、彼らはわたしに耳を傾けない、と主が仰せになる」。
コリント人への第二の手紙(2か所)
コリント第二4:6 「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。
コリント第二6:16 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、「わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう」。
ヤコブの手紙(1か所)
ヤコブ2:11 たとえば、「姦淫するな」と言われたかたは、また「殺すな」とも仰せになった。そこで、たとい姦淫はしなくても、人殺しをすれば、律法の違反者になったことになる。
ヨハネの黙示録(2か所)
黙示録1:8 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。
黙示録22:20 これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。