「見当る」(みあたる)が出てくる聖書の箇所

「見当る」(みあたる)は口語訳の12か所(旧約5・新約7)に出てきます。「見あたる」「見当たる」も含みます。日常訳第1版では7か所。

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ルツ記(1か所)

ルツ記2:2 モアブの女おんなルツはナオミに言いった、「どうぞ、わたしを畑はたけに行いかせてください。だれか親切しんせつな人ひとが見当みあたるならば、わたしはその方かたのあとについて落おち穂ぼを拾ひろいます」。ナオミが彼女かのじょに「娘むすめよ、行いきなさい」と言いったので、

サムエル記上(1か所)

サムエル第一9:4 そこでふたりはエフライムの山地さんちを通とおりすぎ、シャリシャの地ちを通とおり過すぎたけれども見当みあたらず、シャリムの地ちを通とおり過すぎたけれどもおらず、ベニヤミンの地ちを通とおり過すぎたけれども見当みあたらなかった。

サムエル記下(2か所)

サムエル第二2:30 ヨアブはアブネルを追おうことをやめて帰かえり、民みんをみな集あつめたが、ダビデの家来けらいたち十じゅう九きゅう人にんとアサヘルとが見当みあたらなかった。

サムエル第二17:20 アブサロムのしもべたちはその女おんなの家いえにきて言いった、「アヒマアズとヨナタンはどこにいますか」。女おんなは彼かれらに言いった、「あの人々ひとびとは小川おがわを渡わたって行いきました」。彼かれらは尋たずねたが見当みあたらなかったのでエルサレムに帰かえった。

エレミヤ書(1か所)

エレミヤ書50:20 主しゅは言いわれる、その日ひその時ときには、イスラエルのとがを探さがしても見当みあたらず、ユダの罪つみを探さがしてもない。それはわたしが残のこしておく人々ひとびとを、ゆるすからである。

マタイによる福音書(1か所)

マタイ21:19 そして、道みちのかたわらに一いち本ぽんのいちじくの木きがあるのを見みて、そこに行いかれたが、ただ葉はのほかは何なんも見当みあたらなかった。そこでその木きにむかって、「今いまから後あといつまでも、おまえには実じつがならないように」と言いわれた。すると、いちじくの木きはたちまち枯かれた。

マルコによる福音書(1か所)

マルコ11:13 そして、葉はの茂しげったいちじくの木きを遠とおくからごらんになって、その木きに何なんかありはしないかと近寄ちかよられたが、葉はのほかは何なんも見当みあたらなかった。いちじくの季節きせつでなかったからである。

ルカによる福音書(4か所)

ルカ13:7 そこで園丁えんていに言いった、『わたしは三さん年間ねんかんも実じつを求もとめて、このいちじくの木きのところにきたのだが、いまだに見みあたらない。その木きを切きり倒たおしてしまえ。なんのために、土地とちをむだにふさがせて置おくのか』。

ルカ24:3 中なかにはいってみると、主しゅイエスのからだが見当みあたらなかった。

ルカ24:23 イエスのからだが見当みあたらないので、帰かえってきましたが、そのとき御お使つかいが現あらわれて、『イエスは生いきておられる』と告つげたと申もうすのです。

ルカ24:24 それで、わたしたちの仲間なかまが数すう人にん、墓はかに行いって見みますと、果はたして女おんなたちが言いったとおりで、イエスは見当みあたりませんでした」。

ヨハネの黙示録(1か所)

黙示録5:4 巻物まきものを開ひらいてそれを見みるのにふさわしい者ものが見当みあたらないので、わたしは激はげしく泣ないていた。

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