「気づく」(きづく)が出てくる聖書の箇所

「気づく」(きづく)は口語訳の15か所(旧約7・新約8)に出てきます。「気づける」「気付く」も含みます。日常訳第1版では124か所。

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出エジプト記(1か所)

出エジプト10:7 パロの家来けらいたちは王おうに言いった、「いつまで、この人ひとはわれわれのわなとなるのでしょう。この人々ひとびとを去さらせ、彼かれらの神かみなる主しゅに仕つかえさせては、どうでしょう。エジプトが滅ほろびてしまうことに、まだ気きづかれないのですか」。

レビ記(3か所)

レビ記5:2 また、もし人ひとが汚よごれた野獣やじゅうの死体したい、汚よごれた家畜かちくの死体したい、汚よごれた這はうものの死体したいなど、すべて汚よごれたものに触ふれるならば、そのことに気きづかなくても、彼かれは汚よごれたものとなって、とがを得うる。

レビ記5:3 また、もし彼かれが人ひとの汚よごれに触ふれるならば、その人ひとの汚よごれが、どのような汚よごれであれ、それに気きづかなくても、彼かれがこれを知しるようになった時ときは、とがを得うる。

レビ記5:4 また、もし人ひとがみだりにくちびるで誓ちかい、悪あくをなそう、または善ぜんをなそうと言ゆうならば、その人ひとが誓ちかってみだりに言いったことは、それがどんなことであれ、それに気きづかなくても、彼かれがこれを知しるようになった時ときは、これらの一ひとつについて、とがを得うる。

サムエル記下(1か所)

サムエル第二20:10 アマサはヨアブの手てにつるぎがあることに気きづかなかったので、ヨアブはそれをもってアマサの腹部ふくぶを刺さして、そのはらわたを地ちに流ながし出だし、重かさねて撃うつこともなく彼かれを殺ころした。こうしてヨアブとその兄弟きょうだいアビシャイはビクリの子こシバのあとを追おった。

ヨブ記(2か所)

ヨブ記1:8 主しゅはサタンに言いわれた、「あなたはわたしのしもべヨブのように全まったく、かつ正ただしく、神かみを恐おそれ、悪わるに遠とおざかる者ものの世よにないことを気きづいたか」。

ヨブ記2:3 主しゅはサタンに言いわれた、「あなたは、わたしのしもべヨブのように全まったく、かつ正ただしく、神かみを恐おそれ、悪わるに遠とおざかる者ものの世よにないことを気きづいたか。あなたは、わたしを勧すすめて、ゆえなく彼かれを滅ほろぼそうとしたが、彼かれはなお堅かたく保たもって、おのれを全まっとうした」。

マルコによる福音書(3か所)

マルコ5:30 イエスはすぐ、自分じぶんの内うちから力ちからが出でて行いったことに気きづかれて、群衆ぐんしゅうの中なかで振ふり向むき、「わたしの着物きものにさわったのはだれか」と言いわれた。

マルコ6:33 ところが、多おおくの人々ひとびとは彼かれらが出でかけて行いくのを見み、それと気きづいて、方々かたがたの町々まちまちからそこへ、一いっせいに駆かけつけ、彼かれらより先さきに着ついた。

マルコ9:30 それから彼かれらはそこを立たち去さり、ガリラヤをとおって行いったが、イエスは人ひとに気きづかれるのを好このまれなかった。

ルカによる福音書(3か所)

ルカ2:43 ところが、祭まつりが終おわって帰かえるとき、少年しょうねんイエスはエルサレムに居残いのこっておられたが、両親りょうしんはそれに気きづかなかった。

ルカ11:44 あなたがたは、わざわいである。人目ひとめにつかない墓はかのようなものである。その上うえを歩あるいても人々ひとびとは気きづかないでいる」。

ルカ21:30 はや芽めを出だせば、あなたがたはそれを見みて、夏なつがすでに近ちかいと、自分じぶんで気きづくのである。

使徒行伝(1か所)

使徒14:6 ふたりはそれと気きづいて、ルカオニヤの町々まちまち、ルステラ、デルベおよびその附近ふきんの地ちへのがれ、

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル13:2 旅人たびびとをもてなすことを忘わすれてはならない。このようにして、ある人々ひとびとは、気きづかないで御ご使したちをもてなした。

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