「振り向く」(ふりむく)が出てくる聖書の箇所

「振り向く」(ふりむく)は口語訳の18か所(旧約7・新約11)に出てきます。「ふりむく」「ふり向く」も含みます。日常訳第1版では9か所。

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士師記(2か所)

士師記6:14 主しゅはふり向むいて彼かれに言いわれた、「あなたはこのあなたの力ちからをもって行いって、ミデアンびとの手てからイスラエルを救すくい出だしなさい。わたしがあなたをつかわすのではありませんか」。

士師記18:23 ダンの人々ひとびとを呼よんだので、彼かれらはふり向むいてミカに言いった、「あなたがそのように仲間なかまを連つれてきたのは、どうしたのですか」。

サムエル記上(2か所)

サムエル第一17:30 またふり向むいて、ほかの人ひとに前まえのように語かたったところ、民みんはまた同おなじように答こたえた。

サムエル第一24:8 ダビデもまた、そのあとから立たち、ほら穴あなを出でて、サウルのうしろから呼よばわって、「わが君きみ、王おうよ」と言いった。サウルがうしろをふり向むいた時とき、ダビデは地ちにひれ伏ふして拝はいした。

サムエル記下(2か所)

サムエル第二1:7 その時とき、彼かれはうしろを振ふり向むいてわたしを見み、わたしを呼よびましたので、『ここにいます』とわたしは答こたえました。

サムエル第二2:20 アブネルは後あとをふりむいて言いった、「あなたはアサヘルであったか」。アサヘルは答こたえた、「わたしです」。

エレミヤ書(1か所)

エレミヤ書46:5 わたしは見みたが、何なにゆえか彼かれらは恐おそれて退しりぞき、その勇士ゆうしたちは打うち敗やぶられ、あわてて逃にげて、うしろをふり向むくこともしない、――恐おそれが彼かれらの周囲しゅういにあると主しゅは言いわれる。

マタイによる福音書(2か所)

マタイ9:22 イエスは振ふり向むいて、この女おんなを見みて言いわれた、「娘むすめよ、しっかりしなさい。あなたの信仰しんこうがあなたを救すくったのです」。するとこの女おんなはその時ときに、いやされた。

マタイ16:23 イエスは振ふり向むいて、ペテロに言いわれた、「サタンよ、引ひきさがれ。わたしの邪魔じゃまをする者ものだ。あなたは神かみのことを思おもわないで、人ひとのことを思おもっている」。

マルコによる福音書(1か所)

マルコ5:30 イエスはすぐ、自分じぶんの内うちから力ちからが出でて行いったことに気きづかれて、群衆ぐんしゅうの中なかで振ふり向むき、「わたしの着物きものにさわったのはだれか」と言いわれた。

ルカによる福音書(5か所)

ルカ7:9 イエスはこれを聞きいて非常ひじょうに感心かんしんされ、ついてきた群衆ぐんしゅうの方ほうに振ふり向むいて言いわれた、「あなたがたに言いっておくが、これほどの信仰しんこうは、イスラエルの中なかでも見みたことがない」。

ルカ7:44 それから女おんなの方ほうに振ふり向むいて、シモンに言いわれた、「この女おんなを見みないか。わたしがあなたの家いえにはいってきた時ときに、あなたは足あしを洗あらう水みずをくれなかった。ところが、この女おんなは涙なみだでわたしの足あしをぬらし、髪かみの毛けでふいてくれた。

ルカ10:23 それから弟子でしたちの方ほうに振ふりむいて、ひそかに言いわれた、「あなたがたが見みていることを見みる目めは、さいわいである。

ルカ22:61 主しゅは振ふりむいてペテロを見みつめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏にわとりが鳴なく前まえに、三さん度どわたしを知しらないと言ゆうであろう」と言いわれた主しゅのお言葉ことばを思おもい出だした。

ルカ23:28 イエスは女おんなたちの方ほうに振ふりむいて言いわれた、「エルサレムの娘むすめたちよ、わたしのために泣なくな。むしろ、あなたがた自身じしんのため、また自分じぶんの子供こどもたちのために泣なくがよい。

ヨハネによる福音書(2か所)

ヨハネ1:38 イエスはふり向むき、彼かれらがついてくるのを見みて言いわれた、「何なんか願ねがいがあるのか」。彼かれらは言いった、「ラビ(訳やくして言いえば、先生せんせい)どこにおとまりなのですか」。

ヨハネ20:14 そう言いって、うしろをふり向むくと、そこにイエスが立たっておられるのを見みた。しかし、それがイエスであることに気きがつかなかった。

ヨハネの黙示録(1か所)

黙示録1:12 そこでわたしは、わたしに呼よびかけたその声こえを見みようとしてふりむいた。ふりむくと、七ななつの金かねの燭台しょくだいが目めについた。

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