「好き」(すき)が出てくる聖書の箇所
「好き」(すき)は日常訳第1版の25か所(旧約20・新約5)に出てきます。口語訳では12か所。
創世記(7か所)
創世記6:2 神の子たちは、人の娘たちが美しいのを見て、その中から好きな者を選んで妻にした。
創世記19:8 わたしにはまだ男を知らない娘が二人いる。その子たちをあなたたちに差し出すから、好きなようにすればいい。ただ、この人たちには何もしないでほしい。わたしの家の屋根の下に来た客なのだから。」
創世記20:15 アビメレクは言った。「見てのとおり、わたしの国はあなたの前に広がっている。好きな場所に住むといい。」
創世記25:28 イサクはエサウを愛していた。エサウが狩ってくる獲物の肉が好きだったからだ。でも、リベカはヤコブを愛していた。
創世記27:4 わたしの好きなおいしい料理を作って、持ってきてくれ。それを食べて、死ぬ前にお前を祝福したい。」
創世記27:9 群れのところに行って、良いヤギの子を二頭、わたしのために取ってきて。それでお父さんのために、お父さんが好きなおいしい料理を作るから。
創世記27:14 そこでヤコブは行って子やぎを取り、母のところに持ってきた。母は父の好きなおいしい料理を作った。
出エジプト記(1か所)
出エジプト16:3 イスラエルの人々は二人に言った。「エジプトにいたときに、いっそ主の手にかかって死んでいたらよかった。あそこでは肉の鍋を囲んで、パンを好きなだけ食べられたんだ。それなのにあなたたちは、わたしたちをこの荒れ野に連れ出して、この集団をみんな飢え死にさせようとしている。」
民数記(1か所)
民数記16:13 乳と蜜の流れる地からわたしたちを連れ出して、この荒れ野で死なせようとするだけでは足りないのか。その上、あなたはわたしたちを好きなように支配しようとまでするのか。
申命記(1か所)
申命記23:24 隣人のぶどう畑に入ったときは、好きなだけぶどうを食べて満腹になってもよい。でも、自分の入れ物に入れてはならない。
士師記(1か所)
士師記19:24 ここにわたしの処女の娘と、あの人のそばめがいる。この二人を外に出そう。二人を辱め、好きなようにするがいい。だが、この人にはそんなひどいことをしないでくれ。」
サムエル記上(2か所)
サムエル第一2:16 その人が「まず脂肪を焼かせてくれ。そのあとで、好きなだけ取ればいい」と言っても、使用人はこう答えた。「いや、今すぐよこせ。さもないと、力ずくで奪う。」
サムエル第一11:10 そこでヤベシュの人たちはアンモン人に言った。「明日、あなたたちのところへ出ていく。そうしたら、あなたたちの好きなようにしてくれていい。」
歴代志下(1か所)
歴代志下26:10 彼は荒れ野にも塔を築き、多くの水ためを掘った。低地にも平野にもたくさんの家畜を持っていたからだ。また山々や肥えた畑には、農夫やぶどう作りがいた。彼は土を耕すのが好きだったからだ。
エステル記(1か所)
エステル記1:8 酒を飲むのに、無理じいはしなかった。それぞれが好きなだけ楽しめるように、王が宮廷の給仕係全員にそう命じていたからだ。
ヨブ記(1か所)
ヨブ記12:6 かすめ奪う者の天幕は栄え、神を怒らせる者は安全に暮らす。自分の手で神を好きにできると思っている者さえも。
箴言(3か所)
箴言21:17 遊びが好きな人は、貧しくなる。酒や上等な油を好む者は、豊かにはなれない。
箴言26:21 炭が燃える炭火をあおり、薪が火を燃え立たせるように、争い好きな人は争いをあおり立てる。
箴言27:15 雨降りの日に、ぽたぽた落ち続ける雨だれ。争い好きな妻も、それと同じだ。
イザヤ書(1か所)
イザヤ書58:3 「どうしてわたしたちが断食しても、あなたは見てくださらないのですか。身を苦しめても、気づいてくださらないのですか」と彼らは言う。だが見よ。あなたたちは断食の日にも好きなことをして、雇った者をこき使っている。
マタイによる福音書(1か所)
マタイ6:5 祈るときには、偽善者たちのようになってはいけない。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りの角に立って祈るのが好きなんだ。よく言っておく。彼らはもう自分の報いをちゃんと受け取ってしまっている。
ルカによる福音書(2か所)
ルカ9:62 すると、イエスは言った。「すきに手をかけてから後ろを振り返る人は、誰も神の御国にふさわしくない。」
ルカ20:46 「律法学者たちに気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩き回るのが好きで、広場であいさつされることや、会堂で上席に座ること、宴会で上座に着くことを好む。
ヤコブの手紙(1か所)
ヤコブ5:5 あなたたちはこの地で、ぜいたくをし、好き放題に楽しんできた。屠られる日を前にして、自分の心を太らせていたのだ。
ユダの手紙(1か所)
ユダ1:4 というのも、ある人たちがこっそり紛れ込んできたからだ。彼らは昔から、この裁きを受けると書き記されていた者たちで、神を敬おうとしない。わたしたちの神の恵みを、好き放題にふるまう口実に変えてしまい、わたしたちのただひとりの主であり支配者であるイエス・キリストを否定している。