「全身」(ぜんしん)が出てくる聖書の箇所
「全身」(ぜんしん)は口語訳の19か所(旧約5・新約14)に出てきます。日常訳第1版では14か所。
創世記(1か所)
創世記25:25 さきに出たのは赤くて全身毛ごろものようであった。それで名をエサウと名づけた。
レビ記(1か所)
レビ記15:16 人がもし精を漏らすことがあれば、その全身を水にすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。
民数記(1か所)
民数記8:7 あなたはこのようにして彼らを清めなければならない。すなわち、罪を清める水を彼らに注ぎかけ、彼らに全身をそらせ、衣服を洗わせて、身を清めさせ、
ヨブ記(1か所)
ヨブ記41:12 わたしはこれが全身と、その著しい力と、その美しい構造について黙っていることはできない。
箴言(1か所)
箴言4:22 それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである。
マタイによる福音書(4か所)
マタイ5:29 もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。
マタイ5:30 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。
マタイ6:22 目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。
マタイ6:23 しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。
ルカによる福音書(4か所)
ルカ5:12 イエスがある町におられた時、全身らい病になっている人がそこにいた。イエスを見ると、顔を地に伏せて願って言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。
ルカ11:34 あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。
ルカ11:36 もし、あなたのからだ全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝いてあなたを照す時のように、全身が明るくなるであろう」。
ルカ16:20 ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
ヨハネによる福音書(2か所)
ヨハネ7:23 もし、モーセの律法が破られないように、安息日であっても割礼を受けるのなら、安息日に人の全身を丈夫にしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。
ヨハネ13:10 イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。
エペソ人への手紙(1か所)
エペソ4:16 また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。
ヤコブの手紙(3か所)
ヤコブ3:2 わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。
ヤコブ3:3 馬を御するために、その口にくつわをはめるなら、その全身を引きまわすことができる。
ヤコブ3:6 舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。