「伴う」(ともなう)が出てくる聖書の箇所

「伴う」(ともなう)は日常訳第1版の13か所(旧約6・新約7)に出てきます。「ともなう」も含みます。口語訳では28か所。

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出エジプト記(1か所)

出エジプト28:38 これはアロンの額がくの上うえに来くる。イスラエルの人々ひとびとが聖せいなるささげ物ものとしてささげる、そのすべての聖せいなる贈おくり物ものには過あやまちがともなうが、アロンがその過あやまちを引ひき受うけるためだ。この板いたがいつも彼かれの額がくにあることで、ささげ物ものは主しゅの前まえで受うけ入いれられる。

ルツ記(1か所)

ルツ記1:22 こうしてナオミは、モアブの野のから、嫁よめでモアブ人にんのルツをともなって帰かえって来きた。二人ふたりがベツレヘムに着ついたのは、大麦おおむぎの刈かり入いれが始はじまるころだった。

ヨブ記(1か所)

ヨブ記28:26 雨あめのために雨量うりょうを定さだめ、稲妻いなずまをともなう雷かみなりのために道みちをつくったとき、

イザヤ書(2か所)

イザヤ書28:2 見みよ、主しゅのもとには、強つよく力ちからある者ものがいる。その者ものは、雹ひょうをともなう嵐あらしのように、すべてを打ち砕くうちくだく暴風ぼうふうのように、あふれ流ながれる大水おおみずのように、力ちからずくでこの地ちに投なげ倒たおす。

イザヤ書30:30 主しゅはその威厳いげんある声こえを響ひびかせ、振ふり下おろす腕うでを見みせられる。激はげしい怒いかりと、焼やき尽つくす火ひの炎ほのお、豪雨ごううと嵐あらしと雹ひょうをともなって。

エレミヤ書(1か所)

エレミヤ書48:30 わたしはモアブの怒いかりを知しっている、と主しゅは言いわれる。それは中身なかみがない。モアブの自慢じまん話はなしも、何なん一ひとつ実じつを伴ともなわない。

マルコによる福音書(1か所)

マルコ16:20 弟子でしたちは出でて行いって、あらゆるところで福音ふくいんを宣のべ伝つたえた。主しゅは彼かれらとともに働はたらき、彼かれらの語かたる言葉ことばが本物ほんものであることを、それにともなうしるしによって証明しょうめいされた。

テサロニケ人への第二の手紙(1か所)

テサロニケ第二2:9 この無法むほう者しゃが現あらわれるとき、その背後はいごにはサタンの働はたらきがある。あらゆる力ちからと、しるしと、偽いつわりの不思議ふしぎなわざをともなって現あらわれる。

テモテへの第一の手紙(1か所)

テモテ第一6:6 でも、満みち足たりる心こころを伴ともなう、神かみを敬ううやまう生いき方かたこそ、大おおきな利益りえきをもたらす。

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル7:21 でも、この方かたは誓ちかいを伴ともなって祭司さいしになった。神かみがこの方かたについて、こう言いわれたからだ。「主しゅは誓ちかわれた。その心こころを変かえることはない。『あなたは永遠えいえんに祭司さいしである。』」

ヤコブの手紙(3か所)

ヤコブ2:17 それと同おなじで、信仰しんこうも、行おこないがともなわなければ、それだけでは死しんでいる。

ヤコブ2:20 浅あさはかな人ひとよ、行おこないのともなわない信仰しんこうが役やくに立たたたないことを、知しりたいのか。

ヤコブ2:26 たましいのない体からだが死しんでいるように、行おこないのともなわない信仰しんこうも死しんでいるのだ。

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