「伴う」(ともなう)が出てくる聖書の箇所

「伴う」(ともなう)は口語訳の28か所(旧約18・新約10)に出てきます。「ともなう」も含みます。日常訳第1版では13か所。

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出エジプト記(4か所)

出エジプト1:1 さて、ヤコブと共ともに、おのおのその家族かぞくを伴ともなって、エジプトへ行いったイスラエルの子こらの名なは次つぎのとおりである。

出エジプト15:13 あなたは、あがなわれた民たみを恵めぐみをもって導みちびき、み力ちからをもって、あなたの聖せいなるすまいに伴ともなわれた。

出エジプト17:5 主しゅはモーセに言いわれた、「あなたは民みんの前まえに進すすみ行いき、イスラエルの長老ちょうろうたちを伴ともない、あなたがナイル川かわを打うった、つえを手てに取とって行いきなさい。

出エジプト18:5 こうしてモーセのしゅうと、エテロは、モーセの妻子さいしを伴ともなって、荒野こうやに行いき、神かみの山やまに宿営しゅくえいしているモーセの所ところにきた。

民数記(2か所)

民数記5:15 夫おっとは妻つまを祭司さいしのもとに伴ともない、彼女かのじょのために大麦おおむぎの粉こな一いちエパの十じゅう分ぶんの一いちを供そなえ物ものとして携たずさえてこなければならない。ただし、その上うえに油あぶらを注そそいではならない。また乳香にゅうこうを加くわえてはならない。これは疑うたがいの供そなえ物もの、覚おぼえの供そなえ物ものであって罪つみを覚おぼえさせるものだからである。

民数記22:41 明あくる朝あさバラクはバラムを伴ともなってバモテバアルにのぼり、そこからイスラエルの民たみの宿営しゅくえいの一端いったんをながめさせた。

サムエル記上(1か所)

サムエル第一28:8 サウルは姿すがたを変かえてほかの着物きものをまとい、ふたりの従者じゅうしゃを伴ともなって行いき、夜よるの間あいだに、その女おんなの所ところにきた。そしてサウルは言いった、「わたしのために口寄くちよせの術じゅつを行おこなって、わたしがあなたに告つげる人ひとを呼よび起おこしてください」。

サムエル記下(1か所)

サムエル第二19:41 さてイスラエルの人々ひとびとはみな王おうの所ところにきて、王おうに言いった、「われわれの兄弟きょうだいであるユダの人々ひとびとは、何なにゆえにあなたを盗ぬすみ去さって、王おうとその家族かぞく、およびダビデに伴ともなっているすべての従者じゅうしゃにヨルダンを渡わたらせたのですか」。

列王紀上(1か所)

列王紀上11:18 彼かれらがミデアンを立たってパランへ行いき、パランから人々ひとびとを伴ともなってエジプトへ行いき、エジプトの王おうパロのところへ行いくと、パロは彼かれに家いえを与あたえ、食糧しょくりょうを定さだめ、かつ土地とちを与あたえた。

歴代志下(1か所)

歴代志下34:12 その人々ひとびとは忠実ちゅうじつに仕事しごとをした。その監督かんとく者しゃはメラリの子孫しそんであるレビびとヤハテとオバデヤ、およびコハテびとの子孫しそんであるゼカリヤとメシュラムであって、工事こうじをつかさどった。また楽器がっきに巧たくみなレビびとがこれに伴ともなった。

ネヘミヤ記(1か所)

ネヘミヤ記2:12 夜中よなかに起おき出でた。数すう人にんの者ものがわたしに伴ともなったが、わたしは、神かみがエルサレムのためになそうとして、わたしの心こころに入いれられたことを、だれにも告つげ知しらせず、またわたしが乗のった獣けもののほかには、獣けものをつれて行いかなかった。

詩篇(3か所)

詩篇23:2 主しゅはわたしを緑みどりの牧場ぼくじょうに伏ふさせ、いこいのみぎわに伴ともなわれる。

詩篇23:6 わたしの生いきているかぎりは必かならず恵めぐみといつくしみとが伴ともなうでしょう。わたしはとこしえに主しゅの宮みやに住すむでしょう。

詩篇78:54 神かみは彼かれらをその聖地せいちに伴ともない、その右みぎの手てをもって獲えたこの山やまに伴ともないこられた。

伝道の書(2か所)

伝道の書7:11 知恵ちえに財産ざいさんが伴ともなうのは良よい。それは日ひを見みる者ものどもに益えきがある。

伝道の書8:15 そこで、わたしは歓楽かんらくをたたえる。それは日ひの下もとでは、人ひとにとって、食くい、飲のみ、楽たのしむよりほかに良よい事ことはないからである。これこそは日ひの下もとで、神かみが賜たまわった命いのちの日ひの間あいだ、その勤労きんろうによってその身みに伴ともなうものである。

エレミヤ書(1か所)

エレミヤ書19:1 主しゅはこう言いわれる、「行いって、陶器とうき師しのびんを買かい、民みんの長老ちょうろうと年長ねんちょうの祭司さいしのうちの数すう人にんを伴ともなって、

エゼキエル書(1か所)

エゼキエル書1:20 霊れいの行いく所ところには彼かれらも行いき、輪わは彼かれらに伴ともなってあがる。生いきものの霊れいが輪わの中なかにあるからである。

マルコによる福音書(2か所)

マルコ16:17 信しんじる者ものには、このようなしるしが伴ともなう。すなわち、彼かれらはわたしの名なで悪霊あくりょうを追おい出だし、新あたらしい言葉ことばを語かたり、

マルコ16:20 弟子でしたちは出でて行いって、至いたる所ところで福音ふくいんを宣のべ伝つたえた。主しゅも彼かれらと共ともに働はたらき、御言みことに伴ともなうしるしをもって、その確たしかなことをお示ししめしになった。〕

コリント人への第二の手紙(1か所)

コリント第二2:14 しかるに、神かみは感謝かんしゃすべきかな。神かみはいつもわたしたちをキリストの凱旋がいせんに伴ともない行いき、わたしたちをとおしてキリストを知しる知識ちしきのかおりを、至いたる所ところに放ほうって下くださるのである。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ6:23 父ちちなる神かみとわたしたちの主しゅイエス・キリストから平安へいあんならびに信仰しんこうに伴ともなう愛あいが、兄弟きょうだいたちにあるように。

コロサイ人への手紙(1か所)

コロサイ2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝れいはいとわざとらしい謙けんそんと、からだの苦行くぎょうとをともなうので、知恵ちえのあるしわざらしく見みえるが、実じつは、ほしいままな肉欲にくよくを防ふせぐのに、なんの役やくにも立たつものではない。

テモテへの第一の手紙(1か所)

テモテ第一1:14 その上うえ、わたしたちの主しゅの恵めぐみが、キリスト・イエスにある信仰しんこうと愛あいとに伴ともない、ますます増まし加くわわってきた。

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル10:35 だから、あなたがたは自分じぶんの持もっている確信かくしんを放棄ほうきしてはいけない。その確信かくしんには大おおきな報むくいが伴ともなっているのである。

ヤコブの手紙(2か所)

ヤコブ2:17 信仰しんこうも、それと同様どうように、行おこないを伴ともなわなければ、それだけでは死しんだものである。

ヤコブ2:20 ああ、愚おろかな人ひとよ。行おこないを伴ともなわない信仰しんこうのむなしいことを知しりたいのか。

ヨハネの第一の手紙(1か所)

ヨハネ第一4:18 愛あいには恐おそれがない。完全かんぜんな愛あいは恐おそれをとり除のぞく。恐おそれには懲こらしめが伴ともない、かつ恐おそれる者ものには、愛あいが全まっとうされていないからである。

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