聖書の「迷信」について
神のわざを誤解したり、偶像や霊を恐れたりした迷信的な考えの実例を、聖書の記事から集めました。
関連する聖句18箇所。分類はネーヴ『トピカル・バイブル』(1896年、英語原題 SUPERSTITION)によります。日本語の見出しと説明は当サイトによる訳で、聖書本文ではありません(未校閲)。
迷信に関する聖句
使徒25:19 ただ、彼と争い合っているのは、彼ら自身の宗教に関し、また、死んでしまったのに生きているとパウロが主張しているイエスなる者に関する問題に過ぎない。
迷信の実例
主の箱を持って来なかったから敗れたと考えたイスラエル
サムエル第一4:3 民が陣営に退いた時、イスラエルの長老たちは言った、「なにゆえ、主はきょう、ペリシテびとの前にわれわれを敗られたのか。シロへ行って主の契約の箱をここへ携えてくることにしよう。そして主をわれわれのうちに迎えて、敵の手から救っていただこう」。
ダゴンの宮の敷居を踏まないペリシテびと
サムエル第一5:5 それゆえダゴンの祭司たちやダゴンの宮にはいる人々は、だれも今日にいたるまで、アシドドのダゴンのしきいを踏まない。
山の神についてのスリヤびとの考え
列王紀上20:23 スリヤの王の家来たちは王に言った、「彼らの神々は山の神ですから彼らがわれわれよりも強かったのです。もしわれわれが平地で戦うならば、必ず彼らよりも強いでしょう。
天后への供え物をやめたので災いが来たとしたユダヤ人
エレミヤ書44:17-19 わたしたちは誓ったことをみな行い、わたしたちが、もと行っていたように香を天后にたき、また酒をその前に注ぎます。すなわち、ユダの町々とエルサレムのちまたで、わたしたちとわたしたちの先祖たちおよびわたしたちの王たちと、わたしたちのつかさたちが行ったようにいたします。その時には、わたしたちは糧食には飽き、しあわせで、災に会いませんでした。 …
ダニエルに神々の霊が宿ると考えたネブカデネザル
ダニエル書4:8 最後にダニエルがわたしの前にきた、――彼の名はわが神の名にちなんで、ベルテシャザルととなえられ、彼のうちには聖なる神の霊がやどっていた――わたしは彼にその夢を語って言った、
ヨナを海に投げ込んだ水夫たち
ヨナ書1:4-16 時に、主は大風を海の上に起されたので、船が破れるほどの激しい暴風が海の上にあった。 …
海の上を歩くイエスを幽霊と思った弟子たち
マタイ14:26 弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。
イエスをよみがえったヨハネと思ったヘロデ
マルコ6:14 さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、
墓場の人をいやしたイエスに去るよう求めたガダラ人
マタイ8:34 すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ。
ペテロが来たのを見て驚いた弟子たち
使徒12:14 ペテロの声だとわかると、喜びのあまり、門をあけもしないで家に駆け込み、ペテロが門口に立っていると報告した。
魔術にふけっていたエペソの人々
使徒19:13-19 そこで、ユダヤ人のまじない師で、遍歴している者たちが、悪霊につかれている者にむかって、主イエスの名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって命じる。出て行け」と、ためしに言ってみた。 …