「遊女」(ゆうじょ)が出てくる聖書の箇所

「遊女」(ゆうじょ)は口語訳の48か所(旧約41・新約7)に出てきます。日常訳第1版では32か所。

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創世記(4か所)

創世記34:31 彼かれらは言いった、「わたしたちの妹いもうとを遊女ゆうじょのように彼かれが扱あつかってよいのですか」。

創世記38:15 ユダは彼女かのじょを見みたとき、彼女かのじょが顔かおをおおっていたため、遊女ゆうじょだと思おもい、

創世記38:21 そこで彼かれはその所ところの人々ひとびとに尋たずねて言いった、「エナイムで道みちのかたわらにいた遊女ゆうじょはどこにいますか」。彼かれらは言いった、「ここには遊女ゆうじょはいません」。

創世記38:22 彼かれはユダのもとに帰かえって言いった、「わたしは彼女かのじょを見みいだせませんでした。またその所ところの人々ひとびとは、『ここには遊女ゆうじょはいない』と言いいいました」。

レビ記(3か所)

レビ記19:29 あなたの娘むすめに遊女ゆうじょのわざをさせて、これを汚よごしてはならない。これはみだらな事ことが国くにに行おこなわれ、悪事あくじが地ちに満みちないためである。

レビ記21:7 彼かれらは遊女ゆうじょや汚よごれた女おんなをめとってはならない。また夫おっとに出だされた女おんなをめとってはならない。祭司さいしは神かみに対たいして聖せいなる者ものだからである。

レビ記21:14 寡婦かふ、出だされた女おんな、汚よごれた女おんな、遊女ゆうじょなどをめとってはならない。ただ、自分じぶんの民たみのうちの処女しょじょを、妻つまにめとらなければならない。

ヨシュア記(4か所)

ヨシュア記2:1 ヌンの子こヨシュアは、シッテムから、ひそかにふたりの斥候せっこうをつかわして彼かれらに言いった、「行いって、その地ち、特とくにエリコを探さぐりなさい」。彼かれらは行いって、名なをラハブという遊女ゆうじょの家いえにはいり、そこに泊とまったが、

ヨシュア記6:17 この町まちと、その中なかのすべてのものは、主しゅへの奉納ほうのう物ぶつとして滅ほろぼされなければならない。ただし遊女ゆうじょラハブと、その家いえに共ともにおる者ものはみな生いかしておかなければならない。われわれが送おくった使者ししゃたちをかくまったからである。

ヨシュア記6:22 その時ときヨシュアは、この地ちを探さぐったふたりの人ひとに言いった、「あの遊女ゆうじょの家いえにはいって、その女おんなと彼女かのじょに属ぞくするすべてのものを連つれ出だし、彼女かのじょに誓ちかったようにしなさい」。

ヨシュア記6:25 しかし、遊女ゆうじょラハブとその父ちちの家いえの一族いちぞくと彼女かのじょに属ぞくするすべてのものとは、ヨシュアが生いかしておいたので、ラハブは今日きょうまでイスラエルのうちに住すんでいる。これはヨシュアがエリコを探さぐらせるためにつかわした使者ししゃたちをかくまったためである。

士師記(2か所)

士師記11:1 さてギレアデびとエフタは強つよい勇士ゆうしであったが遊女ゆうじょの子こで、エフタの父ちちはギレアデであった。

士師記16:1 サムソンはガザへ行いって、そこでひとりの遊女ゆうじょを見み、その女おんなのところにはいった。

列王紀上(2か所)

列王紀上3:16 さて、ふたりの遊女ゆうじょが王おうのところにきて、王おうの前まえに立たった。

列王紀上22:38 またその戦車せんしゃをサマリヤの池いけで洗あらったが、犬いぬがその血ちをなめた。また遊女ゆうじょがそこで身みを洗あらった。主しゅが言いわれた言葉ことばのとおりである。

箴言(10か所)

箴言2:16 慎つつしみと悟さとりはまたあなたを遊女ゆうじょから救すくい、言葉ことばの巧たくみな、みだらな女おんなから救すくう。

箴言5:3 遊女ゆうじょのくちびるは蜜みつをしたたらせ、その言葉ことばは油あぶらよりもなめらかである。

箴言5:20 わが子こよ、どうして遊女ゆうじょに迷まよい、みだらな女おんなの胸むねをいだくのか。

箴言6:26 遊女ゆうじょは一塊いっかいのパンのために雇やとわれる、しかし、みだらな女おんなは人ひとの尊とうとい命いのちを求もとめる。

箴言7:5 そうすれば、これはあなたを守まもって遊女ゆうじょに迷まよわせず、言葉ことば巧たくみな、みだらな女おんなに近ちかづかせない。

箴言7:10 見みよ、遊女ゆうじょの装よそおいをした陰険いんけんな女おんなが彼かれに会あう。

箴言22:14 遊女ゆうじょの口くちは深ふかい落おとし穴あなである、主しゅに憎にくまれる者ものはその中なかに陥おちいる。

箴言23:27 遊女ゆうじょは深ふかい穴あなのごとく、みだらな女おんなは狭せまい井戸いどのようだ。

箴言29:3 知恵ちえを愛あいする人ひとはその父ちちを喜よろこばせ、遊女ゆうじょに交まじわる者ものはその資産しさんを浪費ろうひする。

箴言30:20 遊女ゆうじょの道みちもまたそうだ、彼女かのじょは食たべて、その口くちをぬぐって、「わたしは何なんもわるいことはしない」と言ゆう。

イザヤ書(4か所)

イザヤ書1:21 かつては忠信ちゅうしんであった町まち、どうして遊女ゆうじょとなったのか。昔むかしは公平こうへいで満みち、正義せいぎがそのうちにやどっていたのに、今いまは人ひとを殺ころす者ものばかりとなってしまった。

イザヤ書23:15 その日ひ、ツロはひとりの王おうのながらえる日ひと同おなじく七十ななじゅう年ねんの間あいだ忘わすれられ、七十ななじゅう年ねん終おわって後あと、ツロは遊女ゆうじょの歌うたのようになる、

イザヤ書23:16 「忘わすれられた遊女ゆうじょよ、琴ことを執とって町まちを経へめぐり、巧たくみに弾だんじ、多おおくの歌うたをうたって、人ひとに思おもい出だされよ」。

イザヤ書57:3 しかし、あなたがた女じょ魔法まほう使しの子こよ、姦夫かんぷと遊女ゆうじょのすえよ、こちらへ近寄ちかよれ。

エレミヤ書(3か所)

エレミヤ書2:20 「あなたは久ひさしい以前いぜんに自分じぶんのくびきを折おり、自分じぶんのなわめを断たち切きって、『わたしは仕つかえることをしない』と言いった。そして、すべての高たかい丘おかの上うえと、すべての青木あおきの下もとで、遊女ゆうじょのように身みをかがめた。

エレミヤ書3:3 それゆえ雨あめはとどめられ、春はるの雨あめは降ふらなかった。しかもあなたには遊女ゆうじょの額がくがあり、少すこしも恥はじようとはしない。

エレミヤ書5:7 「わたしはどうしてあなたを、ゆるすことができようか。あなたの子こどもらは、わたしを捨すてさり、神かみでもないものをさして誓ちかった。わたしが彼かれらを満みち足たらせた時とき、彼かれらは姦淫かんいんを行おこない、遊女ゆうじょの家いえに群むれ集あつまった。

エゼキエル書(4か所)

エゼキエル書16:31 あなたは、ちまた、ちまたのつじに高楼こうろうを建たて、広場ひろば、広場ひろばに台だいを設もうけたが、価あたいをもらうことをあざけったので、遊女ゆうじょのようではなかった。

エゼキエル書16:33 人ひとはすべての遊女ゆうじょに物ものを与あたえる。しかしあなたはすべての恋人こいびとに物ものを与あたえ、彼かれらにまいないして、あなたと姦淫かんいんするために、四方しほうからあなたの所ところにこさせる。

エゼキエル書16:35 それで遊女ゆうじょよ、主しゅの言葉ことばを聞きけ。

エゼキエル書23:44 人ひとが遊女ゆうじょの所ところにはいるように、彼かれらは彼女かのじょの所ところにはいった。こうして彼かれらは姦淫かんいんを行おこなうために、アホラおよびアホリバの所ところにはいった。

ホセア書(1か所)

ホセア書4:14 わたしはあなたがたの娘むすめが淫行いんこうをしても罰ばっしない。またあなたがたの嫁よめが姦淫かんいんを行おこなっても罰ばっしない。男おとこたちみずから遊女ゆうじょと共ともに離はなれ去さり、宮みやの遊女ゆうじょと共ともに犠牲ぎせいをささげているからである。悟さとりのない民たみは滅ほろびる。

ヨエル書(1か所)

ヨエル書3:3 彼かれらはわが民たみをくじ引びきにし、遊女ゆうじょのために少年しょうねんをわたし、酒さけのために少女しょうじょを売うって飲のんだ。

アモス書(1か所)

アモス書7:17 それゆえ、主しゅはこう言いわれる、『あなたの妻つまは町まちで遊女ゆうじょとなり、あなたのむすこ、娘むすめたちはつるぎに倒たおれ、あなたの地ちは測はかりなわで分わかたれる。そしてあなたは汚よごれた地ちで死しに、イスラエルは必かならず捕とらえられて行いって、その国くにを離はなれる』」。

ミカ書(1か所)

ミカ書1:7 その彫像ちょうぞうはみな砕くだかれ、その獲えた価あたいはみな火ひで焼やかれる。わたしはその偶像ぐうぞうをことごとくこわす。これは遊女ゆうじょの価あたいから集あつめたのだから、遊女ゆうじょの価あたいに帰かえる。

ナホム書(1か所)

ナホム書3:4 これは皆みなあでやかな遊女ゆうじょの恐おそるべき魔力まりょくと、多おおくの淫行いんこうのためであって、その淫行いんこうをもって諸しょ国民こくみんを売うり、その魔力まりょくをもって諸族しょぞくを売うり渡わたしたものである。

マタイによる福音書(2か所)

マタイ21:31 このふたりのうち、どちらが父ちちの望のぞみどおりにしたのか」。彼かれらは言いった、「あとの者ものです」。イエスは言いわれた、「よく聞きききなさい。取とり税ぜい人にんや遊女ゆうじょは、あなたがたより先さきに神かみの国くににはいる。

マタイ21:32 というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義ぎの道みちを説といたのに、あなたがたは彼かれを信しんじなかった。ところが、取とり税ぜい人にんや遊女ゆうじょは彼かれを信しんじた。あなたがたはそれを見みたのに、あとになっても、心こころをいれ変かえて彼かれを信しんじようとしなかった。

ルカによる福音書(1か所)

ルカ15:30 それだのに、遊女ゆうじょどもと一緒いっしょになって、あなたの身代みのしろを食くいつぶしたこのあなたの子こが帰かえってくると、そのために肥こえた子牛こうしをほふりなさいました』。

コリント人への第一の手紙(2か所)

コリント第一6:15 あなたがたは自分じぶんのからだがキリストの肢体したいであることを、知しらないのか。それだのに、キリストの肢体したいを取とって遊女ゆうじょの肢体したいとしてよいのか。断だんじていけない。

コリント第一6:16 それとも、遊女ゆうじょにつく者ものはそれと一ひとつのからだになることを、知しらないのか。「ふたりの者ものは一体いったいとなるべきである」とあるからである。

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル11:31 信仰しんこうによって、遊女ゆうじょラハブは、探さぐりにきた者ものたちをおだやかに迎むかえたので、不ふ従順じゅうじゅんな者ものどもと一緒いっしょに滅ほろびることはなかった。

ヤコブの手紙(1か所)

ヤコブ2:25 同おなじように、かの遊女ゆうじょラハブでさえも、使者ししゃたちをもてなし、彼かれらを別べつな道みちから送おくり出だした時とき、行おこないによって義ぎとされたではないか。

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