「肢体」(したい)が出てくる聖書の箇所
「肢体」(したい)は口語訳の20か所(旧約0・新約20)に出てきます。日常訳第1版では0か所。
ローマ人への手紙(6か所)
ローマ6:13 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。
ローマ6:19 わたしは人間的な言い方をするが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえである。あなたがたは、かつて自分の肢体を汚れと不法との僕としてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義の僕としてささげて、きよくならねばならない。
ローマ7:5 というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。
ローマ7:23 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。
ローマ12:4 なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、
ローマ12:5 わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。
コリント人への第一の手紙(10か所)
コリント第一6:15 あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。
コリント第一12:12 からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。
コリント第一12:14 実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。
コリント第一12:18 そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。
コリント第一12:19 もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。
コリント第一12:20 ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。
コリント第一12:22 そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
コリント第一12:25 それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。
コリント第一12:26 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
コリント第一12:27 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
エペソ人への手紙(2か所)
エペソ4:25 こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。
エペソ5:30 わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。
コロサイ人への手紙(1か所)
コロサイ3:5 だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。
ヤコブの手紙(1か所)
ヤコブ4:1 あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。