「機会」(きかい)が出てくる聖書の箇所
「機会」(きかい)は口語訳の20か所(旧約0・新約20)に出てきます。日常訳第1版では14か所。
マタイによる福音書(1か所)
マタイ26:16 その時から、ユダはイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。
マルコによる福音書(2か所)
マルコ6:21 ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、
マルコ14:11 彼らはこれを聞いて喜び、金を与えることを約束した。そこでユダは、どうかしてイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。
ルカによる福音書(3か所)
ルカ20:20 そこで、彼らは機会をうかがい、義人を装うまわし者どもを送って、イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした。
ルカ21:13 それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。
ルカ22:6 ユダはそれを承諾した。そして、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、機会をねらっていた。
使徒行伝(2か所)
使徒24:25 そこで、パウロが、正義、節制、未来の審判などについて論じていると、ペリクスは不安を感じてきて、言った、「きょうはこれで帰るがよい。また、よい機会を得たら、呼び出すことにする」。
使徒25:16 そこでわたしは、彼らに答えた、『訴えられた者が、訴えた者の前に立って、告訴に対し弁明する機会を与えられない前に、その人を見放してしまうのは、ローマ人の慣例にはないことである』。
ローマ人への手紙(2か所)
ローマ7:8 しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。
ローマ7:11 なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。
コリント人への第一の手紙(1か所)
コリント第一16:12 兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたの所に行くように、たびたび勧めてみた。しかし彼には、今行く意志は、全くない。適当な機会があれば、行くだろう。
コリント人への第二の手紙(2か所)
コリント第二5:12 わたしたちは、あなたがたに対して、またもや自己推薦をしようとするのではない。ただわたしたちを誇る機会を、あなたがたに持たせ、心を誇るのではなくうわべだけを誇る人々に答えうるようにさせたいのである。
コリント第二11:12 しかし、わたしは、現在していることを今後もしていこう。それは、わたしたちと同じように誇りうる立ち場を得ようと機会をねらっている者どもから、その機会を断ち切ってしまうためである。
ガラテヤ人への手紙(2か所)
ガラテヤ5:13 兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
ガラテヤ6:10 だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。
エペソ人への手紙(1か所)
エペソ4:27 また、悪魔に機会を与えてはいけない。
ピリピ人への手紙(1か所)
ピリピ4:10 さて、わたしが主にあって大いに喜んでいるのは、わたしを思う心が、あなたがたに今またついに芽ばえてきたことである。実は、あなたがたは、わたしのことを心にかけてくれてはいたが、よい機会がなかったのである。
ヘブル人への手紙(3か所)
ヘブル4:6 そこで、その安息にはいる機会が、人々になお残されているのであり、しかも、初めに福音を伝えられた人々は、不従順のゆえに、はいることをしなかったのであるから、
ヘブル11:15 もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。
ヘブル12:17 あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。