「悲しい」(かなしい)が出てくる聖書の箇所
「悲しい」(かなしい)は口語訳の11か所(旧約8・新約3)に出てきます。日常訳第1版では6か所。
サムエル記上(1か所)
サムエル第一1:18 彼女は言った、「どうぞ、はしためにも、あなたの前に恵みを得させてください」。こうして、その女は去って食事し、その顔は、もはや悲しげではなくなった。
ネヘミヤ記(3か所)
ネヘミヤ記2:1 アルタシャスタ王の第二十年、ニサンの月に、王の前に酒が出た時、わたしは酒をついで王にささげた。これまでわたしは王の前で悲しげな顔をしていたことはなかった。
ネヘミヤ記2:2 王はわたしに言われた、「あなたは病気でもないのにどうして悲しげな顔をしているのか。何か心に悲しみをもっているにちがいない」。そこでわたしは大いに恐れて、
ネヘミヤ記2:3 王に申しあげた、「どうぞ王よ、長生きされますように。わたしの先祖の墳墓の地であるあの町は荒廃し、その門が火で焼かれたままであるのに、どうしてわたしは悲しげな顔をしないでいられましょうか」。
エレミヤ書(2か所)
エレミヤ書22:18 それゆえ、主はユダの王ヨシヤの子エホヤキムについてこう言われる、「人々は『悲しいかな、わが兄』、『悲しいかな、わが姉』と言って、彼のために嘆かない。また『悲しいかな、主君よ』、『悲しいかな、陛下よ』と言って嘆かない。
エレミヤ書30:7 悲しいかな、その日は大いなる日であって、それに比べるべき日はない。それはヤコブの悩みの時である。しかし彼はそれから救い出される。
ダニエル書(1か所)
ダニエル書6:20 ダニエルのいる穴に近づいたとき、悲しげな声をあげて呼ばわり、ダニエルに言った、「生ける神のしもべダニエルよ、あなたが常に仕えている神はあなたを救って、ししの害を免れさせることができたか」。
アモス書(1か所)
アモス書5:16 それゆえ、主なる万軍の神、主はこう言われる、「すべての広場で泣くことがあろう。すべてのちまたで人々は『悲しいかな、悲しいかな』と言う。また彼らは農夫を呼んできて嘆かせ、巧みな泣き女を招いて泣かせ、
ルカによる福音書(1か所)
ルカ24:17 イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。
コリント人への第二の手紙(1か所)
コリント第二2:3 このような事を書いたのは、わたしが行く時、わたしを喜ばせてくれるはずの人々から、悲しい思いをさせられたくないためである。わたし自身の喜びはあなたがた全体の喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからである。
ヘブル人への手紙(1か所)
ヘブル12:11 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。