「復活」(ふっかつ)が出てくる聖書の箇所

「復活」(ふっかつ)は口語訳の36か所(旧約0・新約36)に出てきます。日常訳第1版では48か所。

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マタイによる福音書(5か所)

マタイ22:23 復活ふっかつということはないと主張しゅちょうしていたサドカイ人にんたちが、その日ひ、イエスのもとにきて質問しつもんした、

マタイ22:28 すると復活ふっかつの時ときには、この女おんなは、七しち人にんのうちだれの妻つまなのでしょうか。みんながこの女おんなを妻つまにしたのですが」。

マタイ22:30 復活ふっかつの時ときには、彼かれらはめとったり、とついだりすることはない。彼かれらは天てんにいる御ご使しのようなものである。

マタイ22:31 また、死人しにんの復活ふっかつについては、神かみがあなたがたに言いわれた言葉ことばを読よんだことがないのか。

マタイ27:53 そしてイエスの復活ふっかつののち、墓はかから出でてきて、聖せいなる都とにはいり、多おおくの人ひとに現あらわれた。

マルコによる福音書(2か所)

マルコ12:18 復活ふっかつということはないと主張しゅちょうしていたサドカイ人にんたちが、イエスのもとにきて質問しつもんした、

マルコ12:23 復活ふっかつのとき、彼かれらが皆みなよみがえった場合ばあい、この女おんなはだれの妻つまなのでしょうか。七なな人にんとも彼女かのじょを妻つまにしたのですが」。

ルカによる福音書(7か所)

ルカ9:8 またある人ひとたちは、エリヤが現あらわれたと言いいい、またほかの人ひとたちは、昔むかしの預言よげん者しゃのひとりが復活ふっかつしたのだと言いっていたからである。

ルカ9:19 彼かれらは答こたえて言いった、「バプテスマのヨハネだと、言いっています。しかしほかの人ひとたちは、エリヤだと言いいい、また昔むかしの預言よげん者しゃのひとりが復活ふっかつしたのだと、言いっている者ものもあります」。

ルカ14:14 そうすれば、彼かれらは返礼へんれいができないから、あなたはさいわいになるであろう。正ただしい人々ひとびとの復活ふっかつの際さいには、あなたは報むくいられるであろう」。

ルカ20:27 復活ふっかつということはないと言い張っいいはっていたサドカイ人にんのある者ものたちが、イエスに近寄ちかよってきて質問しつもんした、

ルカ20:33 さて、復活ふっかつの時ときには、この女おんなは七なな人にんのうち、だれの妻つまになるのですか。七なな人にんとも彼女かのじょを妻つまにしたのですが」。

ルカ20:35 かの世よにはいって死人しにんからの復活ふっかつにあずかるにふさわしい者ものたちは、めとったり、とついだりすることはない。

ルカ20:36 彼かれらは天使てんしに等ひとしいものであり、また復活ふっかつにあずかるゆえに、神かみの子こでもあるので、もう死しぬことはあり得えないからである。

使徒行伝(8か所)

使徒1:22 すなわち、ヨハネのバプテスマの時ときから始はじまって、わたしたちを離はなれて天てんに上あげられた日ひに至いたるまで、始終しじゅうわたしたちと行動こうどうを共ともにした人ひとたちのうち、だれかひとりが、わたしたちに加くわわって主しゅの復活ふっかつの証人しょうにんにならねばならない」。

使徒2:31 キリストの復活ふっかつをあらかじめ知しって、『彼かれは黄泉こうせんに捨すておかれることがなく、またその肉体にくたいが朽くち果はてることもない』と語かたったのである。

使徒4:2 彼かれらが人々ひとびとに教きょうを説とき、イエス自身じしんに起おこった死人しにんの復活ふっかつを宣伝せんでんしているのに気きをいら立だて、

使徒4:33 使徒しとたちは主しゅイエスの復活ふっかつについて、非常ひじょうに力強ちからづよくあかしをした。そして大おおきなめぐみが、彼かれら一同いちどうに注そそがれた。

使徒10:41 全部ぜんぶの人々ひとびとにではなかったが、わたしたち証人しょうにんとしてあらかじめ選えらばれた者ものたちに現あらわれるようにして下くださいました。わたしたちは、イエスが死人しにんの中なかから復活ふっかつされた後あと、共ともに飲食いんしょくしました。

使徒17:18 また、エピクロス派はやストア派はの哲学てつがく者しゃ数すう人にんも、パウロと議論ぎろんを戦たたかわせていたが、その中なかのある者ものたちが言いった、「このおしゃべりは、いったい、何なんを言いおうとしているのか」。また、ほかの者ものたちは、「あれは、異国いこくの神々かみがみを伝つたえようとしているらしい」と言いった。パウロが、イエスと復活ふっかつとを、宣のべ伝つたえていたからであった。

使徒23:6 パウロは、議員ぎいんの一部いちぶがサドカイ人にんであり、一部いちぶはパリサイ人にんであるのを見みて、議会ぎかいの中なかで声こえを高たかめて言いった、「兄弟きょうだいたちよ、わたしはパリサイ人にんであり、パリサイ人にんの子こである。わたしは、死人しにんの復活ふっかつの望のぞみをいだいていることで、裁判さいばんを受うけているのである」。

使徒23:8 元来がんらい、サドカイ人にんは、復活ふっかつとか天使てんしとか霊れいとかは、いっさい存在そんざいしないと言いいい、パリサイ人にんは、それらは、みな存在そんざいすると主張しゅちょうしている。

ローマ人への手紙(2か所)

ローマ1:4 聖せいなる霊れいによれば、死人しにんからの復活ふっかつにより、御お力ちからをもって神かみの御子みこと定さだめられた。これがわたしたちの主しゅイエス・キリストである。

ローマ6:5 もしわたしたちが、彼かれに結むすびついてその死しの様ようにひとしくなるなら、さらに、彼かれの復活ふっかつの様ようにもひとしくなるであろう。

コリント人への第一の手紙(4か所)

コリント第一15:12 さて、キリストは死人しにんの中なかからよみがえったのだと宣のべ伝つたえられているのに、あなたがたの中なかのある者ものが、死人しにんの復活ふっかつなどはないと言いっているのは、どうしたことか。

コリント第一15:13 もし死人しにんの復活ふっかつがないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。

コリント第一15:21 それは、死しがひとりの人ひとによってきたのだから、死人しにんの復活ふっかつもまた、ひとりの人ひとによってこなければならない。

コリント第一15:42 死人しにんの復活ふっかつも、また同様どうようである。朽くちるものでまかれ、朽くちないものによみがえり、

ピリピ人への手紙(2か所)

ピリピ3:10 すなわち、キリストとその復活ふっかつの力ちからとを知しり、その苦難くなんにあずかって、その死しのさまとひとしくなり、

ピリピ3:11 なんとかして死人しにんのうちからの復活ふっかつに達たっしたいのである。

テサロニケ人への第一の手紙(1か所)

テサロニケ第一4:14 わたしたちが信しんじているように、イエスが死しんで復活ふっかつされたからには、同様どうように神かみはイエスにあって眠ねむっている人々ひとびとをも、イエスと一緒いっしょに導みちびき出だして下くださるであろう。

テモテへの第二の手紙(1か所)

テモテ第二2:18 彼かれらは真理しんりからはずれ、復活ふっかつはすでに済すんでしまったと言いいい、そして、ある人々ひとびとの信仰しんこうをくつがえしている。

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル6:2 洗あらいごとについての教きょうと按あん手しゅ、死人しにんの復活ふっかつと永遠えいえんのさばき、などの基本きほんの教きょうをくりかえし学まなぶことをやめようではないか。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一3:21 この水みずはバプテスマを象徴しょうちょうするものであって、今いまやあなたがたをも救すくうのである。それは、イエス・キリストの復活ふっかつによるのであって、からだの汚よごれを除のぞくことではなく、明あきらかな良心りょうしんを神かみに願ねがい求もとめることである。

ヨハネの黙示録(2か所)

黙示録20:5 (それ以外いがいの死人しにんは、千せん年ねんの期間きかんが終おわるまで生いきかえらなかった。)これが第だい一いちの復活ふっかつである。

黙示録20:6 この第だい一いちの復活ふっかつにあずかる者ものは、さいわいな者ものであり、また聖せいなる者ものである。この人ひとたちに対たいしては、第だい二にの死しはなんの力ちからもない。彼かれらは神かみとキリストとの祭司さいしとなり、キリストと共ともに千せん年ねんの間あいだ、支配しはいする。

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