「影」(かげ)が出てくる聖書の箇所
「影」(かげ)は口語訳の21か所(旧約16・新約5)に出てきます。日常訳第1版では28か所。
士師記(1か所)
士師記9:36 ガアルは民を見てゼブルに言った、「ごらんなさい。民が山々の頂からおりてきます」。ゼブルは彼に言った、「あなたは山々の影を人のように見るのです」。
歴代志上(1か所)
歴代志上29:15 われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで、長くとどまることはできません。
ヨブ記(3か所)
ヨブ記8:9 われわれはただ、きのうからあった者で、何も知らない、われわれの世にある日は、影のようなものである。
ヨブ記14:2 彼は花のように咲き出て枯れ、影のように飛び去って、とどまらない。
ヨブ記17:7 わが目は憂いによってかすみ、わがからだはすべて影のようだ。
詩篇(5か所)
詩篇39:6 まことに人は影のように、さまよいます。まことに彼らはむなしい事のために騒ぎまわるのです。彼は積みたくわえるけれども、だれがそれを収めるかを知りません。
詩篇73:20 あなたが目をさまして彼らの影をかろしめられるとき、彼らは夢みた人の目をさました時のようである。
詩篇80:10 山々はその影でおおわれ、神の香柏はその枝でおおわれました。
詩篇109:23 わたしは夕日の影のように去りゆき、いなごのように追い払われます。
詩篇144:4 人は息にひとしく、その日は過ぎゆく影にひとしいのです。
箴言(1か所)
箴言9:18 しかしその人は、死の影がそこにあることを知らず、彼女の客は陰府の深みにおることを知らない。
伝道の書(2か所)
伝道の書6:12 人はその短く、むなしい命の日を影のように送るのに、何が人のために善であるかを知ることができよう。だれがその身の後に、日の下に何があるであろうかを人に告げることができるか。
伝道の書8:13 しかし悪人には幸福がない。またその命は影のようであって長くは続かない。彼は神の前に恐れをいだかないからである。
雅歌(2か所)
雅歌2:17 わが愛する者よ、日の涼しくなるまで、影の消えるまで、身をかえして出ていって、険しい山々の上で、かもしかのように、若い雄じかのようになってください。
雅歌4:6 日の涼しくなるまで、影の消えるまで、わたしは没薬の山および乳香の丘へ急ぎ行こう。
エレミヤ書(1か所)
エレミヤ書6:4 「戦いを始め、彼女を攻めよ。立て、われわれは真昼に攻撃しよう」。「わざわいなるかな、日ははや傾き、夕日の影は長くなった」。
使徒行伝(1か所)
使徒5:15 ついには、病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにしたほどであった。
コロサイ人への手紙(1か所)
コロサイ2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。
ヘブル人への手紙(2か所)
ヘブル8:5 彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。
ヘブル10:1 いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。
ヤコブの手紙(1か所)
ヤコブ1:17 あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。