「喪」(も)が出てくる聖書の箇所
「喪」(も)は日常訳第1版の11か所(旧約11・新約0)に出てきます。口語訳では6か所。
創世記(3か所)
創世記27:41 エサウは、父がヤコブに与えたあの祝福のせいで、ヤコブを憎むようになった。エサウは心の中でこう思った。「父の喪の日も、もうすぐやってくる。そのときが来たら、弟のヤコブを殺してやる。」
創世記38:12 日がたって、ユダの妻であるシュアの娘が死んだ。喪が明けると、ユダは友人でアドラム人のヒラといっしょに、羊の毛を刈る人たちのいるティムナへ上って行った。
創世記50:10 彼らはヨルダン川の向こうにあるアタデの脱穀場に着いた。そこで彼らは大声で激しく泣き、深く悲しんだ。ヨセフは父のために七日間、喪に服した。
申命記(1か所)
申命記26:14 わたしは喪に服している間にそれを食べたことも、汚れた身でそれを取り分けたことも、死者のためにそれを供えたこともありません。わたしはわたしの神である主の声に従い、あなたが命じられたすべてのとおりに行いました。
サムエル記下(2か所)
サムエル第二11:27 喪の期間が過ぎると、ダビデは人をやって彼女を自分の家に迎え入れ、彼女はダビデの妻となって、男の子を産んだ。しかし、ダビデがしたことは、主の目に悪と映った。
サムエル第二14:2 そこでヨアブはテコアに使いをやって、そこから賢い女性を一人呼び寄せた。そして彼女にこう言った。「喪に服しているふりをしてほしい。喪服を着て、肌に油をつけず、長いあいだ死者を悼んでいる女性のようにしてくれ。
伝道の書(2か所)
伝道の書7:2 祝いの席に行くよりも、喪に服す家に行くほうが良い。死はすべての人の行き着く先であり、生きている者はそれを心に刻むからだ。
伝道の書7:4 賢い人の心は喪の家にあり、愚かな人の心は楽しみの家にある。
エレミヤ書(1か所)
エレミヤ書16:7 喪に服す人に、死者のことで慰めようとパンを差し出す者もいない。父や母を亡くした人に、慰めの杯を勧める者もいない。
エゼキエル書(1か所)
エゼキエル書24:17 声を出さずに、ただ静かにうめけ。死んだ者のために喪に服してはならない。頭には飾りの布を巻き、足には靴をはけ。口ひげを覆ってはならない。弔いのパンを食べてはならない。」
ホセア書(1か所)
ホセア書9:4 主に向かってぶどう酒を注ぐこともなく、彼らのいけにえが主に喜ばれることもない。それは喪に服す者のパンのようで、それを食べる者はみな汚れる。彼らのパンはただ自分の腹を満たすだけで、主の家に入ることはできない。