「召す」(めす)が出てくる聖書の箇所
「召す」(めす)は日常訳第1版の12か所(旧約3・新約9)に出てきます。口語訳では81か所。
民数記(2か所)
民数記22:34 バラムは主の使いに言った。「わたしは罪を犯しました。あなたが道でわたしをはばもうとして立っておられたとは、知らなかったのです。もしお気に召さないなら、わたしは引き返します。」
民数記31:2 「イスラエルの人々のために、ミディアン人に報復しなさい。それが済んだら、あなたは自分の先祖の民のもとに召されることになる。」
ネヘミヤ記(1か所)
ネヘミヤ記2:5 王にこう答えた。「もし王がよろしければ、そしてこのしもべが王のお気に召しているのでしたら、どうかわたしをユダに、父祖たちが眠る町に送ってください。その町を建て直したいのです。」
ローマ人への手紙(4か所)
ローマ1:1 わたしは、キリスト・イエスに仕える者パウロ。神から使徒として召され、神の福音を伝えるために選び出された。
ローマ1:7 すべてのローマにいる、神に愛され、聖なる者として召された人たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
ローマ9:12 兄が弟に仕えるようになる——これは、行いによってではなく、召してくださる方によって決まる。だから彼女はこう告げられたのだ。
ローマ9:24 神はこのあわれみの器として、わたしたちを召してくださった。それもユダヤ人の中からだけでなく、外国人の中からも召してくださったのだ。
コリント人への第一の手紙(2か所)
コリント第一1:1 神の望みによってキリスト・イエスの使徒として召されたわたしパウロと、兄弟のソステネから。
コリント第一1:2 コリントにある神の教会、つまりキリスト・イエスによって聖なる者とされ、聖なる者として召されたあなたがたへ。また、わたしたちの主イエス・キリストの名を、どこにいても呼び求めるすべての人へ。この主は、その人たちの主であり、わたしたちの主でもある。
テモテへの第二の手紙(1か所)
テモテ第二1:9 神はわたしたちを救い、聖なる者として召してくださった。それはわたしたちの行いによるのではなく、神ご自身の計画と恵みによる。この恵みは、永遠の昔から、キリスト・イエスにあってわたしたちに与えられていたものだ。
ヘブル人への手紙(1か所)
ヘブル5:4 この栄誉は、自分で勝手に手に入れられるものではない。アロンがそうだったように、神に召された者だけがそれを受けるのだ。
ペテロの第一の手紙(1か所)
ペテロ第一2:21 あなたたちは、そのために召されたのだ。キリストもあなたたちのために苦しみ、その足あとをたどれるように、模範を残してくださった。