「両親」(りょうしん)が出てくる聖書の箇所

「両親」(りょうしん)は日常訳第1版の19か所(旧約3・新約16)に出てきます。口語訳では21か所。

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申命記(2か所)

申命記21:18 ある男おとこに、頑固がんこで反抗はんこう的てきな息子むすこがいて、父ちちの言いうことも母ははの言いうことも聞きかず、両親りょうしんが注意ちゅういしても言いうことを聞きかないとする。

申命記22:17 あらぬ非難ひなんを並ならべ立たてて、『あなたの娘むすめに処女しょじょのしるしはなかった』と言いっています。でも、これが娘むすめの処女しょじょのしるしです。」こう言いって、両親りょうしんは長老ちょうろうたちの前まえにその布ぬのを広ひろげる。

サムエル記上(1か所)

サムエル第一22:4 こうして彼かれは両親りょうしんをモアブの王おうのもとに預あずけた。二人ふたりは、ダビデが要害ようがいにいる間あいだずっと、王おうのもとにとどまった。

ルカによる福音書(9か所)

ルカ2:22 そして、モーセの律法りっぽうにしたがって、きよめの期間きかんが満みちると、両親りょうしんはイエスを主しゅにささげるため、エルサレムに連つれて行いった。

ルカ2:27 彼かれは霊れいに導みちびかれて神殿しんでんに入はいった。ちょうど、両親りょうしんが幼子おさなごイエスを連つれて来きたときだった。両親りょうしんは、律法りっぽうの決きまりどおりにするために来きたのだ。

ルカ2:39 両親りょうしんは、主しゅの律法りっぽうに定さだめられたことをすべて終おえると、ガリラヤにある自分じぶんたちの町まちナザレに帰かえって行いった。

ルカ2:41 イエスの両親りょうしんは、毎年まいとし、過越すぎこしの祭まつりにエルサレムへ行いっていた。

ルカ2:43 祭まつりの期間きかんが終おわって帰かえる途中とちゅう、少年しょうねんイエスはエルサレムに残のこっていた。でも、両親りょうしんはそれに気きづかなかった。

ルカ2:48 両親りょうしんはイエスを見みて、はっとした。母ははは言いった。「どうしてこんなことをしたの。お父ちちさんもわたしも、心配しんぱいしながらあなたを捜さがしていたのよ。」

ルカ2:51 それからイエスは両親りょうしんと一緒いっしょにナザレに帰かえり、二人ふたりに従したがって暮くらした。母はははこれらの出来事できごとを、すべて心こころにしまっていた。

ルカ8:56 両親りょうしんはびっくりした。でもイエスは、起おきたことをだれにも話はなさないようにと二人ふたりに命めいじた。

ルカ18:29 イエスは彼かれらに言いった。「はっきり言いっておく。神かみの国くにのために、家いえや妻つま、兄弟きょうだい、両親りょうしん、子こどもを捨すてた人ひとはみな、

ヨハネによる福音書(6か所)

ヨハネ9:2 弟子でしたちがイエスに尋たずねた。「先生せんせい、この人ひとが生うまれつき目めが見みえないのは、だれかが罪つみを犯おかしたせいですか。本人ほんにんですか、それとも両親りょうしんですか」

ヨハネ9:3 イエスは答こたえた。「この人ひとが悪わるいことをしたからでも、両親りょうしんが悪わるいことをしたからでもない。神かみのわざがこの人ひとに現あらわれるためだ。

ヨハネ9:18 ユダヤ人じんたちは、その人ひとがもともと目めが見みえなかったのに見みえるようになったということを、まだ信しんじなかった。それで、見みえるようになったその人ひとの両親りょうしんを呼よび出だして、

ヨハネ9:20 両親りょうしんは答こたえた。「この子こがわたしたちの息子むすこで、生うまれつき目めが見みえなかったことは知しっています。

ヨハネ9:22 両親りょうしんがこう答こたえたのは、ユダヤ人じんたちを恐おそれていたからだ。イエスをキリストだと認みとめる者ものがいれば、その人ひとを会堂かいどうから追おい出だす。ユダヤ人じんたちはすでにそう決きめていたのだ。

ヨハネ9:23 それで、彼かれの両親りょうしんは「もう大人おとなですから、本人ほんにんに聞きいてください」と言いったのだ。

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル11:23 信仰しんこうによって、モーセは生うまれたとき、両親りょうしんの手てで三さんか月げつの間あいだかくまわれた。美うつくしい子こだと分わかったからで、両親りょうしんは王おうの命令めいれいを恐おそれなかったのだ。

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