「無理」(むり)が出てくる聖書の箇所
「無理」(むり)は口語訳の26か所(旧約19・新約7)に出てきます。日常訳第1版では29か所。
列王紀上(10か所)
列王紀上16:17 そこでオムリはイスラエルの人々と共にギベトンから上ってテルザを囲んだ。
列王紀上16:21 その時イスラエルの民は二つに分れ、民の半ばはギナテの子テブニに従って、これを王としようとし、半ばはオムリに従った。
列王紀上16:22 しかしオムリに従った民はギナテの子テブニに従った民に勝って、テブニは死に、オムリが王となった。
列王紀上16:23 ユダの王アサの第三十一年にオムリはイスラエルの王となって十二年世を治めた。彼はテルザで六年王であった。
列王紀上16:25 オムリは主の目の前に悪を行い、彼よりも先にいたすべての者にまさって悪い事をした。
列王紀上16:27 オムリが行ったその他の事績と、彼があらわした勲功とは、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。
列王紀上16:28 オムリはその先祖と共に眠って、サマリヤに葬られ、その子アハブが代って王となった。
列王紀上16:29 ユダの王アサの第三十八年にオムリの子アハブがイスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年イスラエルを治めた。
列王紀上16:30 オムリの子アハブは彼よりも先にいたすべての者にまさって、主の目の前に悪を行った。
列王紀上20:7 そこでイスラエルの王は国の長老をことごとく召して言った、「よく注意して、この人が無理な事を求めているのを知りなさい。彼は人をつかわして、わたしの妻子と金銀を求めたが、わたしはそれを拒まなかった」。
列王紀下(1か所)
列王紀下8:26 アハジヤは王となったとき二十二歳で、エルサレムで一年世を治めた。その母は名をアタリヤと言って、イスラエルの王オムリの孫娘であった。
歴代志上(3か所)
歴代志上7:8 ベケルの子らはゼミラ、ヨアシ、エリエゼル、エリオエナイ、オムリ、エレモテ、アビヤ、アナトテ、アラメテで皆ベケルの子らである。
歴代志上9:4 すなわちユダの子ペレヅの子孫のうちではアミホデの子ウタイ。アミホデはオムリの子、オムリはイムリの子、イムリはバニの子である。
歴代志上27:18 ユダのつかさはダビデの兄弟のひとりエリウ。イッサカルのつかさはミカエルの子オムリ。
歴代志下(1か所)
歴代志下22:2 アハジヤは王となった時四十二歳で、エルサレムで一年の間世を治めた。その母はオムリの娘で名をアタリヤといった。
エレミヤ書(3か所)
エレミヤ書42:15 あなたがた、ユダの残っている者たちよ、主の言葉を聞きなさい。万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、もしあなたがたがむりにエジプトへ行ってそこに住むならば、
エレミヤ書42:17 すべてむりにエジプトへ行ってそこに住む者は、つるぎと、ききんと、疫病で死ぬ。わたしが彼らに下そうとしている災をのがれて残る者はそのうちにない。
エレミヤ書44:12 またわたしは、エジプトの地に住むために、むりに行ったあのユダの残りの者を取り除く。彼らはみな滅ぼされてエジプトの地に倒れる。彼らは、つるぎとききんに滅ぼされ、最も小さい者から最も大いなる者まで、つるぎとききんによって死ぬ。そして、のろいとなり、恐怖となり、ののしりとなり、はずかしめとなる。
ミカ書(1か所)
ミカ書6:16 あなたはオムリの定めを守り、アハブの家のすべてのわざをおこない、彼らの計りごとに従って歩んだ。これはわたしがあなたを荒し、その住民を笑い物とするためである。あなたがたは民のはずかしめを負わねばならぬ」。
マタイによる福音書(1か所)
マタイ27:32 彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。
マルコによる福音書(1か所)
マルコ15:21 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた。
使徒行伝(1か所)
使徒24:7 千卒長ルシヤが干渉して、彼を無理にわたしたちの手から引き離してしまい、
コリント人への第一の手紙(1か所)
コリント第一7:37 しかし、彼が心の内で堅く決心していて、無理をしないで自分の思いを制することができ、その上で、相手のおとめをそのままにしておこうと、心の中で決めたなら、そうしてもよい。
コリント人への第二の手紙(2か所)
コリント第二10:14 わたしたちは、あなたがたの所まで行けない者であるかのように、むりに手を延ばしているのではない。事実、わたしたちが最初にキリストの福音を携えて、あなたがたの所までも行ったのである。
コリント第二12:11 わたしは愚か者となった。あなたがたが、むりにわたしをそうしてしまったのだ。実際は、あなたがたから推薦されるべきであった。というのは、たといわたしは取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちにはなんら劣るところがないからである。
ペテロの第二の手紙(1か所)
ペテロ第二3:16 彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。