「本当」(ほんとう)が出てくる聖書の箇所
「本当」(ほんとう)は口語訳の36か所(旧約10・新約26)に出てきます。「ほんとう」も含みます。日常訳第1版では172か所。
創世記(6か所)
創世記3:1 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。
創世記20:12 また彼女はほんとうにわたしの妹なのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではありません。そして、わたしの妻になったのです。
創世記29:14 ラバンは彼に言った、「あなたはほんとうにわたしの骨肉です」。ヤコブは一か月の間彼と共にいた。
創世記37:8 すると兄弟たちは彼に向かって、「あなたはほんとうにわたしたちの王になるのか。あなたは実際わたしたちを治めるのか」と言って、彼の夢とその言葉のゆえにますます彼を憎んだ。
創世記37:10 彼はこれを父と兄弟たちに語ったので、父は彼をとがめて言った、「あなたが見たその夢はどういうのか。ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか」。
創世記42:20 そして末の弟をわたしのもとに連れてきなさい。そうすればあなたがたの言葉のほんとうであることがわかって、死を免れるでしょう」。彼らはそのようにした。
ヨシュア記(2か所)
ヨシュア記2:24 そしてヨシュアに言った、「ほんとうに主はこの国をことごとくわれわれの手にお与えになりました。この国の住民はみなわれわれの前に震えおののいています」。
ヨシュア記7:20 アカンはヨシュアに答えた、「ほんとうにわたしはイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。わたしがしたのはこうです。
サムエル記下(1か所)
サムエル第二15:8 それは、しもべがスリヤのゲシュルにいた時、誓いを立てて、『もし主がほんとうにわたしをエルサレムに連れ帰ってくださるならば、わたしは主に礼拝をささげます』と言ったからです」。
ダニエル書(1か所)
ダニエル書3:14 ネブカデネザルは彼らに言った、「シャデラク、メシャク、アベデネゴよ、あなたがたがわが神々に仕えず、またわたしの立てた金の像を拝まないとは、ほんとうなのか。
マタイによる福音書(1か所)
マタイ14:33 舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。
マルコによる福音書(2か所)
マルコ11:32 しかし、人からだと言えば……」。彼らは群衆を恐れていた。人々が皆、ヨハネを預言者だとほんとうに思っていたからである。
マルコ12:32 そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。
ルカによる福音書(2か所)
ルカ23:47 百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、「ほんとうに、この人は正しい人であった」と言った。
ルカ24:34 「主は、ほんとうによみがえって、シモンに現れなさった」と言っていた。
ヨハネによる福音書(12か所)
ヨハネ1:47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。
ヨハネ4:37 そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。
ヨハネ5:31 もし、わたしが自分自身についてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。
ヨハネ5:32 わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人がするあかしがほんとうであることを、わたしは知っている。
ヨハネ6:14 人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。
ヨハネ7:26 見よ、彼は公然と語っているのに、人々はこれに対して何も言わない。役人たちは、この人がキリストであることを、ほんとうに知っているのではなかろうか。
ヨハネ7:40 群衆のある者がこれらの言葉を聞いて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者である」と言い、
ヨハネ8:31 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。
ヨハネ8:36 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。
ヨハネ10:41 多くの人々がイエスのところにきて、互に言った、「ヨハネはなんのしるしも行わなかったが、ヨハネがこのかたについて言ったことは、皆ほんとうであった」。
ヨハネ16:7 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
ヨハネ17:8 なぜなら、わたしはあなたからいただいた言葉を彼らに与え、そして彼らはそれを受け、わたしがあなたから出たものであることをほんとうに知り、また、あなたがわたしをつかわされたことを信じるに至ったからです。
使徒行伝(2か所)
使徒10:35 神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
使徒12:11 その時ペテロはわれにかえって言った、「今はじめて、ほんとうのことがわかった。主が御使をつかわして、ヘロデの手から、またユダヤ人たちの待ちもうけていたあらゆる災から、わたしを救い出して下さったのだ」。
コリント人への第一の手紙(2か所)
コリント第一10:19 すると、なんと言ったらよいか。偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。
コリント第一11:19 たしかに、あなたがたの中でほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい。
コリント人への第二の手紙(2か所)
コリント第二12:6 もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないだろう。しかし、それはさし控えよう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。
コリント第二13:7 わたしたちは、あなたがたがどんな悪をも行わないようにと、神に祈る。それは、自分たちがほんとうの者であることを見せるためではなく、たといわたしたちが見捨てられた者のようになっても、あなたがたに良い行いをしてもらいたいためである。
テサロニケ人への第一の手紙(1か所)
テサロニケ第一3:9 ほんとうに、わたしたちの神のみまえで、あなたがたのことで喜ぶ大きな喜びのために、どんな感謝を神にささげたらよいだろうか。
ヘブル人への手紙(2か所)
ヘブル9:24 ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。
ヘブル12:8 だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。