「支え」(ささえ)が出てくる聖書の箇所

「支え」(ささえ)は口語訳の29か所(旧約29・新約0)に出てきます。「ささえ」「つかえ」も含みます。日常訳第1版では16か所。

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創世記(18か所)

創世記16:1 アブラムの妻つまサライは子こを産うまなかった。彼女かのじょにひとりのつかえめがあった。エジプトの女おんなで名なをハガルといった。

創世記16:2 サライはアブラムに言いった、「主しゅはわたしに子こをお授さずけになりません。どうぞ、わたしのつかえめの所ところにおはいりください。彼女かのじょによってわたしは子こをもつことになるでしょう」。アブラムはサライの言葉ことばを聞ききいれた。

創世記16:3 アブラムの妻つまサライはそのつかえめエジプトの女おんなハガルをとって、夫おっとアブラムに妻つまとして与あたえた。これはアブラムがカナンの地ちに十じゅう年ねん住すんだ後あとであった。

創世記16:5 そこでサライはアブラムに言いった、「わたしが受うけた害がいはあなたの責任せきにんです。わたしのつかえめをあなたのふところに与あたえたのに、彼女かのじょは自分じぶんのはらんだのを見みて、わたしを見下みくださげます。どうか、主しゅがあなたとわたしの間あいだをおさばきになるように」。

創世記16:6 アブラムはサライに言いった、「あなたのつかえめはあなたの手てのうちにある。あなたの好すきなように彼女かのじょにしなさい」。そしてサライが彼女かのじょを苦くるしめたので、彼女かのじょはサライの顔かおを避さけて逃にげた。

創世記16:8 そして言いった、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ行いくのですか」。彼女かのじょは言いった、「わたしは女じょ主人しゅじんサライの顔かおを避さけて逃にげているのです」。

創世記25:12 サラのつかえめエジプトびとハガルがアブラハムに産うんだアブラハムの子こイシマエルの系図けいずは次つぎのとおりである。

創世記29:24 ラバンはまた自分じぶんのつかえめジルパを娘むすめレアにつかえめとして与あたえた。

創世記29:29 ラバンはまた自分じぶんのつかえめビルハを娘むすめラケルにつかえめとして与あたえた。

創世記30:3 ラケルは言いった、「わたしのつかえめビルハがいます。彼女かのじょの所ところにおはいりなさい。彼女かのじょが子こを産うんで、わたしのひざに置おきます。そうすれば、わたしもまた彼女かのじょによって子こを持もつでしょう」。

創世記30:7 ラケルのつかえめビルハはまた、みごもって第だい二にの子こをヤコブに産うんだ。

創世記30:10 レアのつかえめジルパはヤコブに子こを産うんだ。

創世記30:12 レアのつかえめジルパは第だい二にの子こをヤコブに産うんだ。

創世記32:22 彼かれはその夜よる起おきて、ふたりの妻つまとふたりのつかえめと十じゅう一いち人にんの子こどもとを連つれてヤボクの渡わたしをわたった。

創世記33:1 さてヤコブは目めをあげ、エサウが四百よんひゃく人にんを率ひきいて来くるのを見みた。そこで彼かれは子供こどもたちを分わけてレアとラケルとふたりのつかえめとにわたし、

創世記33:2 つかえめとその子供こどもたちをまっ先さきに置おき、レアとその子供こどもたちを次つぎに置おき、ラケルとヨセフを最後さいごに置おいて、

創世記35:25 ラケルのつかえめビルハの子こらはダンとナフタリ。

創世記35:26 レアのつかえめジルパの子こらはガドとアセル。これらはヤコブの子こらであって、パダンアラムで彼かれに生うまれた者ものである。

サムエル記上(3か所)

サムエル第一25:27 今いま、あなたのつかえめが、わが君きみに携たずさえてきた贈おくり物ものを、わが君きみに従したがう若者わかものたちに与あたえてください。

サムエル第一25:41 アビガイルは立たち、地ちにひれ伏ふし拝はいして言いった、「はしためは、わが君きみのしもべたちの足あしを洗あらうつかえめです」。

サムエル第一28:21 女おんなはサウルのもとにきて、彼かれのおののいているのを見みて言いった、「あなたのつかえめは、あなたの声こえに聞き従いききしたがい、わたしの命いのちをかけて、あなたの言いわれた言葉ことばに従したがいました。

サムエル記下(4か所)

サムエル第二14:6 つかえめにはふたりの子こどもがあり、ふたりは野ので争あらそいましたが、だれも彼かれらを引ひき分わける者ものがなかったので、ひとりはついに他ほかの者ものを撃うって殺ころしました。

サムエル第二14:15 わたしがこの事ことを王おう、わが主しゅに言いおうとして来きたのは、わたしが民たみを恐おそれたからです。つかえめは、こう思おもったのです、『王おうに申もうし上あげよう。王おうは、はしための願ねがいのようにしてくださるかもしれない。

サムエル第二14:17 つかえめはまた、こう思おもったのです、『王おう、わが主しゅの言葉ことばはわたしを安心あんしんさせるであろう』と。それは王おう、わが主しゅは神かみの使つかいのように善ぜんと悪あくを聞ききわけられるからです。どうぞあなたの神かみ、主しゅがあなたと共ともにおられますように」。

サムエル第二17:17 時ときに、ヨナタンとアヒマアズはエンロゲルで待まっていた。ひとりのつかえめが行いって彼かれらに告つげ、彼かれらは行いってダビデ王おうに告つげるのが常つねであった。それは彼かれらが町まちにはいるのを見みられないようにするためである。

列王紀上(2か所)

列王紀上7:30 また台だいにはおのおの四よんつの青銅せいどうの車輪しゃりんと、青銅せいどうの車軸しゃじくがあり、その四よんすみには洗あらい盤ばんのささえがあった。そのささえは、おのおの花飾はなかざりのかたわらに鋳いて造つくりつけてあった。

列王紀上7:34 おのおのの台だいの四よんすみに四よんつのささえがあり、そのささえは台だいの一部いちぶをなしていた。

詩篇(1か所)

詩篇18:18 彼かれらはわたしの災わざわいの日ひにわたしを襲おそいました。しかし主しゅはわたしのささえとなられました。

イザヤ書(1か所)

イザヤ書3:1 見みよ、主しゅ、万まん軍ぐんの主しゅはエルサレムとユダからささえとなり、頼たのみとなるもの――すべてささえとなるパン、すべてささえとなる水みず――を取とり去さられる。

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