「打ち明ける」(うちあける)が出てくる聖書の箇所

「打ち明ける」(うちあける)は日常訳第1版の14か所(旧約10・新約4)に出てきます。「打ちあける」も含みます。口語訳では4か所。

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創世記(1か所)

創世記45:1 ヨセフは、そばに仕つかえている人ひとたちの前まえでこれ以上いじょう自分じぶんを抑おさえることができなくなった。それで、「みんな、ここから出でて行いってくれ」と叫さけんだ。こうして、ヨセフが兄弟きょうだいたちに自分じぶんのことを打うち明あけたとき、そばには誰だれも残のこっていなかった。

士師記(2か所)

士師記16:17 とうとうサムソンは、心こころのうちをすべて打うち明あけた。「わたしの頭あたまには一いち度どもかみそりが当あてられたことがない。わたしは母ははの胎はらにいたときから、神かみにささげられた特別とくべつな者ものだからだ。もし髪かみをそり落おとされたら、わたしの力ちからは抜ぬけてしまう。そうなればわたしは弱よわくなって、ほかのだれとも変かわらない普通ふつうの人間にんげんになってしまう。」

士師記16:18 デリラは、サムソンが心こころのうちをすべて打うち明あけたのを見みて取とった。そして人ひとをやってペリシテ人びとの領主りょうしゅたちを呼よび、「もう一いち度ど来きてください。あの人ひとが心こころのうちを全部ぜんぶ話はなしてくれました」と伝つたえた。領主りょうしゅたちは、手てに銀ぎんを持もって彼女かのじょのところへやって来きた。

サムエル記上(1か所)

サムエル第一20:2 ヨナタンは言いった。「とんでもない。あなたが死しぬことはない。父ちちは大おおきなことでも小ちいさなことでも、わたしに打うち明あけずに行おこなうことはない。それなのに、どうして父ちちがこのことだけをわたしに隠かくすだろうか。そんなことはない。」

エステル記(1か所)

エステル記8:1 その日ひ、アハシュエロス王おうは、ユダヤ人じんの敵てきだったハマンの家いえを、王妃おうひエステルに与あたえた。そしてモルデカイは王おうの前まえに出でるようになった。エステルが、モルデカイは自分じぶんとどういう関係かんけいなのかを打うち明あけていたからだ。

詩篇(5か所)

詩篇25:14 主しゅを敬ううやまう人ひとには、主しゅは心こころを打うち明あけてくださる。そして、ご自分じぶんの契約けいやくを教おしえてくださる。

詩篇32:5 わたしは自分じぶんの罪つみをあなたに打うち明あけた。悪わるいことを隠かくさなかった。「自分じぶんのそむきを主しゅに告白こくはくしよう。」そう決きめたとき、あなたはわたしの罪つみを赦ゆるしてくれた。セラ

詩篇38:18 わたしは自分じぶんの悪あくを打うち明あける。自分じぶんの罪つみを思おもって、心こころを痛いためている。

詩篇119:26 わたしは自分じぶんの歩あゆんできた道みちを打うち明あけた。すると、あなたは答こたえてくれた。あなたのおきてをわたしに教おしえてほしい。

詩篇142:2 わたしは神かみの前まえで嘆なげきを注そそぎ出だす。自分じぶんの苦くるしみを、神かみの前まえで打うち明あける。

ルカによる福音書(1か所)

ルカ8:47 女性じょせいは、隠かくしきれないと分わかって、震ふるえながら進すすみ出でた。そしてイエスの前まえにひれ伏ふし、なぜ触ふれたのか、そしてどうやってすぐに治なおったのかを、みんなの前まえで打うち明あけた。

使徒行伝(2か所)

使徒7:13 二に度ど目めに来きたとき、ヨセフは自分じぶんが兄弟きょうだいたちであることを打うち明あけた。それでヨセフの家族かぞくのことが、ファラオにも知しられるようになった。

使徒19:18 信しんじた人ひとの多おおくがやって来きて、自分じぶんのしてきたことを打うち明あけ、包つつみ隠かくさず話はなした。

ヤコブの手紙(1か所)

ヤコブ5:16 だから、互たがいに罪つみを打うち明あけ合あい、癒いやされるように互たがいのために祈いのりなさい。正ただしい人ひとの祈いのりは、大おおきな力ちからとなって働はたらく。

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