「手柄」(てがら)が出てくる聖書の箇所
「手柄」(てがら)は口語訳の10か所(旧約6・新約4)に出てきます。「てがら」も含みます。日常訳第1版では7か所。
サムエル記上(4か所)
サムエル第一18:5 ダビデはどこでもサウルがつかわす所に出て行って、てがらを立てたので、サウルは彼を兵の隊長とした。それはすべての民の心にかない、またサウルの家来たちの心にもかなった。
サムエル第一18:14 またダビデは、すべてそのすることに、てがらを立てた。主が共におられたからである。
サムエル第一18:15 サウルはダビデが大きなてがらを立てるのを見て彼を恐れたが、
サムエル第一18:30 さてペリシテびとの君たちが攻めてきたが、ダビデは、彼らが攻めてくるごとに、サウルのどの家来よりも多くのてがらを立てたので、その名はひじょうに尊敬された。
サムエル記下(1か所)
サムエル第二23:20 エホヤダの子ベナヤはカブジエル出身の勇士であって、多くのてがらを立てた。彼はモアブのアリエルのふたりの子を撃ち殺した。彼はまた雪の日に下っていって、穴の中でししを撃ち殺した。
歴代志上(1か所)
歴代志上11:22 エホヤダの子ベナヤは、カブジエル出身の勇士であって、多くのてがらを立てた。彼はモアブのアリエルのふたりの子を撃ち殺した。彼はまた雪の日に下っていって、穴の中でししを撃ち殺した。
ルカによる福音書(3か所)
ルカ6:32 自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
ルカ6:33 自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。
ルカ6:34 また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
ペテロの第一の手紙(1か所)
ペテロ第一2:20 悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。