「我慢」(がまん)が出てくる聖書の箇所
「我慢」(がまん)は日常訳第1版の16か所(旧約6・新約10)に出てきます。「がまん」も含みます。口語訳では6か所。
民数記(1か所)
民数記21:4 民はホル山を出発し、エドムの地を回り込むため、葦の海の方へ向かう道を進んだ。しかし旅の途中で、民は我慢できず、すっかり気力を失ってしまった。
詩篇(1か所)
詩篇101:5 こっそりと隣人の悪口を言う者を、わたしは黙らせる。高ぶるまなざしと、思い上がった心を持つ者を、わたしは我慢できない。
イザヤ書(1か所)
イザヤ書1:13 もう、むだなささげ物を持って来るな。香をたくのも、わたしにはうんざりだ。新月の祭りも安息日も、人を集める集会も、もう我慢できない。悪いことをしながら集まる、その集まりに耐えられない。
エレミヤ書(1か所)
エレミヤ書20:9 それで、「もう主のことは口にしない。もう主の名によって語らない」と、わたしは思いました。でも、その言葉はわたしの心の中で燃える火のようになり、骨の中に閉じ込められて、抑えようとしても抑えきれず、わたしはもう我慢できません。
ミカ書(1か所)
ミカ書2:7 ヤコブの家よ、こんなことを言っていいのか。「主の霊は、もう我慢の限界なのか。これが主のすることなのか」と。わたしの言葉は、正しく歩む者には良いことをもたらすではないか。
ゼカリヤ書(1か所)
ゼカリヤ書11:8 わたしは一か月のうちに、三人の羊飼いを取り除いた。わたしは彼らに我慢できなくなり、彼らもまたわたしをひどく嫌った。
マルコによる福音書(1か所)
マルコ9:19 イエスは彼らに答えた。「ああ、信じようとしない今の人たちよ。いつまでわたしはあなたたちと一緒にいればいいのか。いつまで我慢すればいいのか。その子をわたしのところへ連れてきなさい。」
ルカによる福音書(1か所)
ルカ9:41 イエスは答えた。「ああ、信じようとしない、ねじ曲がった時代の人たちだ。いつまでわたしは、あなたたちと一緒にいて我慢すればいいのか。あなたの息子をここに連れて来なさい。」
使徒行伝(1か所)
使徒13:18 そして、およそ四十年の間、荒れ野で彼らを我慢強く支えてくださった。
コリント人への第一の手紙(1か所)
コリント第一9:12 ほかの人たちがあなたがたに頼る権利を持っているのなら、なおさらわたしたちにはその権利があるはずだ。しかし、わたしたちはこの権利を使わなかった。むしろ、どんなことでも我慢している。キリストの福音の邪魔になるようなことを、少しでもしたくないからだ。
コリント人への第二の手紙(3か所)
コリント第二11:1 わたしの少しばかりの愚かさを、我慢して聞いてほしい。いや、ぜひ我慢して聞いてほしいのだ。
コリント第二11:4 なぜなら、だれかがやって来て、わたしたちが伝えたのとは別のイエスを語ったり、あなたがたが受けたのとは違う霊を受けさせたり、受け入れたのとは違う福音を伝えたりしても、あなたがたはあっさり我慢して受け入れてしまうのだから。
コリント第二11:20 現に、だれかがあなたたちを奴隷のように扱っても、食い物にしても、巻き上げても、いばり散らしても、顔を殴りつけても、あなたたちは平気で我慢しているのだ。
コロサイ人への手紙(1か所)
コロサイ3:13 互いに我慢し合い、だれかに対して不満があっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
テサロニケ人への第一の手紙(2か所)
テサロニケ第一3:1 だからわたしたちは、もうこれ以上がまんできなくなった。それで、自分たちだけがアテネに残ることにしたのだ。
テサロニケ第一3:5 だからわたしも、もうがまんできなくなって、あなたがたの信仰がどうなっているかを知るために、テモテを送った。もしかしたら、あの誘惑する者があなたがたを誘惑し、わたしたちの苦労がむだになってしまったのではないかと心配したからだ。