「寄りかかる」(よりかかる)が出てくる聖書の箇所
「寄りかかる」(よりかかる)は日常訳第1版の16か所(旧約13・新約3)に出てきます。「よりかかる」「寄り掛かる」も含みます。口語訳では6か所。
士師記(1か所)
士師記16:26 サムソンは、自分の手を引いていた少年に言った。「この建物を支えている柱にさわらせてくれ。そこに寄りかかりたいんだ。」
列王紀下(3か所)
列王紀下5:18 ただ、一つのことについては、どうか主がこのわたしをお赦しくださいますように。わたしの主君がリモンの神殿に入って拝むとき、主君はわたしの腕に寄りかかります。それでわたしも、リモンの神殿でひざまずくのです。リモンの神殿でわたしがひざまずくとき、どうか主がこのわたしをお赦しくださいますように。」
列王紀下7:2 すると、王が寄りかかっている侍従が、神の人エリシャに答えて言った。「たとえ主が天に窓を開けても、そんなことが起こるものか。」エリシャは言った。「あなたは自分の目でそれを見る。だが、それを食べることはない。」
列王紀下18:21 見ろ、お前が頼りにしているのは、あのエジプトだ。だがそれは、折れかけた葦の杖のようなものだ。それに寄りかかる者がいれば、葦は手に突き刺さって、貫いてしまう。エジプトの王ファラオは、頼る者みんなにとって、そういうものなのだ。
ヨブ記(2か所)
ヨブ記8:14 その頼みは断ち切られ、寄りかかるところは、くもの巣のようだ。
ヨブ記8:15 その家に寄りかかろうとしても、家は立たない。それにすがりついても、それは持ちこたえない。
雅歌(1か所)
雅歌8:5 荒れ野から上ってくるこの人はだれだろう。愛する人に寄りかかっている。りんごの木の下で、わたしはあなたを呼びさました。そこは、あなたの母があなたを産んだ場所。あなたを産んだ人が、産みの苦しみを味わった場所。
イザヤ書(4か所)
イザヤ書10:20 その日には、イスラエルの残りの者、ヤコブの家の生き残った者は、もう自分たちを打った者に頼ることはしない。イスラエルの聖なる方である主に、心から寄りかかるようになる。
イザヤ書36:6 そう、お前が頼りにしているのは、あの折れかけた葦の杖、エジプトだ。人がそれに寄りかかれば、手に刺さって突き抜けてしまう。エジプトの王ファラオは、頼りにする者すべてにとって、まさにそういうものだ。
イザヤ書48:2 あなたたちは自分を聖なる都の民と名のり、イスラエルの神に寄りかかっている。その名は万軍の主。
イザヤ書50:10 あなたたちの中で、主を敬い、そのしもべの声に聞き従う者はだれか。暗闇の中を歩み、光がまったくない者は、主の名に信頼し、自分の神に寄りかかればいい。
エゼキエル書(1か所)
エゼキエル書29:7 彼らがお前を手でつかむと、お前は折れて、彼らの肩をすべて引き裂いた。彼らがお前に寄りかかると、お前は砕けて、彼らの腰をすべてぐらつかせた。
ミカ書(1か所)
ミカ書3:11 この町の頭たちはわいろをもらって裁き、祭司たちは代金をもらって教え、預言者たちは金をもらって占う。それでいて主に寄りかかり、こう言う。「主はわたしたちの真ん中におられるのだから、災いがわたしたちに降りかかることはない」と。
ヨハネによる福音書(2か所)
ヨハネ13:25 その弟子はイエスの胸に寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と尋ねた。
ヨハネ21:20 ペテロが振り返ると、イエスに愛されていた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のときにイエスの胸元に寄りかかって、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と尋ねた人だ。
ヘブル人への手紙(1か所)
ヘブル11:21 信仰によって、ヤコブは死を迎えるとき、ヨセフの二人の息子をそれぞれ祝福し、杖の先に寄りかかって神を礼拝した。