「宣教」(せんきょう)が出てくる聖書の箇所

「宣教」(せんきょう)は口語訳の14か所(旧約0・新約14)に出てきます。日常訳第1版では2か所。

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マタイによる福音書(1か所)

マタイ12:41 ニネベの人々ひとびとが、今いまの時代じだいの人々ひとびとと共ともにさばきの場ばに立たって、彼かれらを罪つみに定さだめるであろう。なぜなら、ニネベの人々ひとびとはヨナの宣教せんきょうによって悔くい改あらためたからである。しかし見みよ、ヨナにまさる者ものがここにいる。

マルコによる福音書(1か所)

マルコ3:14 そこで十じゅう二に人にんをお立たてになった。彼かれらを自分じぶんのそばに置おくためであり、さらに宣教せんきょうにつかわし、

ルカによる福音書(2か所)

ルカ3:23 イエスが宣教せんきょうをはじめられたのは、年としおよそ三十さんじゅう歳さいの時ときであって、人々ひとびとの考かんがえによれば、ヨセフの子こであった。ヨセフはヘリの子こ、

ルカ11:32 ニネベの人々ひとびとが、今いまの時代じだいの人々ひとびとと共ともにさばきの場ばに立たって、彼かれらを罪つみに定さだめるであろう。なぜなら、ニネベの人々ひとびとはヨナの宣教せんきょうによって悔くい改あらためたからである。しかし見みよ、ヨナにまさる者ものがここにいる。

ローマ人への手紙(1か所)

ローマ16:25-26 願ねがわくは、わたしの福音ふくいんとイエス・キリストの宣教せんきょうとにより、かつ、長ながき世々せいせいにわたって、隠かくされていたが、今いまやあらわされ、預言よげんの書しょをとおして、永遠えいえんの神かみの命令めいれいに従したがい、信仰しんこうの従順じゅうじゅんに至いたらせるために、もろもろの国人くにびとに告つげ知しらされた奥義おうぎの啓示けいじによって、あなたがたを力ちからづけることのできるかた、

コリント人への第一の手紙(4か所)

コリント第一1:21 この世よは、自分じぶんの知恵ちえによって神かみを認みとめるに至いたらなかった。それは、神かみの知恵ちえにかなっている。そこで神かみは、宣教せんきょうの愚おろかさによって、信しんじる者ものを救すくうこととされたのである。

コリント第一2:4 そして、わたしの言葉ことばもわたしの宣教せんきょうも、巧たくみな知恵ちえの言葉ことばによらないで、霊れいと力ちからとの証明しょうめいによったのである。

コリント第一9:18 それでは、その報酬ほうしゅうはなんであるか。福音ふくいんを宣のべ伝つたえるのにそれを無む代価だいかで提供ていきょうし、わたしが宣教せんきょう者しゃとして持もつ権利けんりを利用りようしないことである。

コリント第一15:14 もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教せんきょうはむなしく、あなたがたの信仰しんこうもまたむなしい。

テサロニケ人への第一の手紙(1か所)

テサロニケ第一2:3 いったい、わたしたちの宣教せんきょうは、迷まよいや汚よごれた心こころから出でたものでもなく、だましごとでもない。

テモテへの第一の手紙(2か所)

テモテ第一2:7 そのために、わたしは立たてられて宣教せんきょう者しゃ、使徒しととなり(わたしは真実しんじつを言いっている、偽いつわってはいない)、また異邦いほう人にんに信仰しんこうと真理しんりとを教おしえる教師きょうしとなったのである。

テモテ第一5:17 よい指導しどうをしている長老ちょうろう、特とくに宣教せんきょうと教きょうとのために労ろうしている長老ちょうろうは、二に倍ばいの尊敬そんけいを受うけるにふさわしい者ものである。

テモテへの第二の手紙(1か所)

テモテ第二1:11 わたしは、この福音ふくいんのために立たてられて、その宣教せんきょう者しゃ、使徒しと、教師きょうしになった。

テトスへの手紙(1か所)

テトス1:3 神かみは、定さだめられた時ときに及およんで、御言みことを宣教せんきょうによって明あきらかにされたが、わたしは、わたしたちの救主すくいぬしなる神かみの任命にんめいによって、この宣教せんきょうをゆだねられたのである――

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