「あざ笑う」(あざわらう)が出てくる聖書の箇所
「あざ笑う」(あざわらう)は口語訳の25か所(旧約17・新約8)に出てきます。「あざわらう」「嘲笑う」も含みます。日常訳第1版では41か所。
サムエル記上(1か所)
サムエル第一2:1 ハンナは祈って言った、「わたしの心は主によって喜び、わたしの力は主によって強められた、わたしの口は敵をあざ笑う、あなたの救によってわたしは楽しむからである。
ヨブ記(5か所)
ヨブ記9:23 災がにわかに人を殺すような事があると、彼は罪のない者の苦難をあざ笑われる。
ヨブ記22:19 正しい者はこれを見て喜び、罪なき者は彼らをあざ笑って言う、
ヨブ記30:1 しかし今はわたしよりも年若い者が、かえってわたしをあざ笑う。彼らの父はわたしが卑しめて、群れの犬と一緒にさえしなかった者だ。
ヨブ記39:22 これは恐れをあざ笑って、驚くことなく、つるぎをさけて退くことがない。
ヨブ記41:29 こん棒もわらくずのようにみなされ、投げやりの響きを、これはあざ笑う。
詩篇(3か所)
詩篇22:7 すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、
詩篇80:6 あなたはわれらを隣り人のあざけりとし、われらの敵はたがいにあざわらいました。
詩篇119:51 高ぶる者は大いにわたしをあざ笑います。しかしわたしはあなたのおきてを離れません。
エレミヤ書(1か所)
エレミヤ書50:13 主の怒りによって、ここに住む者はなく、完全に荒れ地となる。バビロンのかたわらを通る者は、みなその傷を見て驚き、かつあざ笑う。
哀歌(3か所)
哀歌1:7 エルサレムはその悩みと苦しみの日に、昔から持っていたもろもろの宝を思い出す。その民があだの手に陥り、だれもこれを助ける者のない時、あだはこれを見て、その滅びをあざ笑った。
哀歌2:15 すべて道行く人は、あなたにむかって手を打ち、エルサレムの娘にむかって、あざ笑い、かつ頭を振って言う、「麗しさのきわみ、全地の喜びととなえられた町はこれなのか」と。
哀歌2:16 あなたのもろもろの敵は、あなたをののしり、あざ笑い、歯がみして言う、「われわれはこれを滅ぼした、ああ、これはわれわれが望んだ日だ、今われわれはこれにあい、これを見た」と。
ミカ書(2か所)
ミカ書4:11 いま多くの国民はあなたに逆らい、集まって言う、「どうかシオンが汚されるように、われわれの目がシオンを見てあざ笑うように」と。
ミカ書7:10 その時「あなたの神、主はどこにいるか」とわたしに言ったわが敵は、これを見て恥をこうむり、わが目は彼を見てあざ笑う。彼は街路の泥のように踏みつけられる。
ハバクク書(2か所)
ハバクク書1:10 彼らは王たちを侮り、つかさたちをあざける。彼らはすべての城をあざ笑い、土を積み上げてこれを奪う。
ハバクク書2:6 これらは皆ことわざをもって彼をあざけり、あざけりのなぞをもって彼をあざ笑わないだろうか。すなわち言う、「わざわいなるかな、おのれに属さないものを増し加える者よ。いつまでこのようであろうか。質物でおのれを重くする者よ」。
マタイによる福音書(1か所)
マタイ9:24 「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。
マルコによる福音書(1か所)
マルコ5:40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。
ルカによる福音書(4か所)
ルカ8:53 人々は娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。
ルカ14:30 『あの人は建てかけたが、仕上げができなかった』と言ってあざ笑うようになろう。
ルカ16:14 欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。
ルカ23:35 民衆は立って見ていた。役人たちもあざ笑って言った、「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」。
使徒行伝(2か所)
使徒2:13 しかし、ほかの人たちはあざ笑って、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。
使徒17:32 死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った。