ヘブル人への手紙 9章23節(ヘブル9:23)

23 こうして、天てんにあるものの写うつしである地上ちじょうのものは、これらの血ちによって清きよめられる必要ひつようがあった。しかし、天てんにあるものそのものは、それよりもすぐれたささげ物ものによって清きよめられなければならなかった。

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この節を含む箇所キリストの血によるあがないヘブル9:11-28

前後の聖句(9章21–25節)

21 さらにモーセは、同おなじように、幕屋まくやにも、礼拝れいはいに使つかうすべての器具きぐにも血ちをふりかけた。

22 律法りっぽうによれば、ほとんどすべてのものは血ちによって清きよめられる。そして、血ちが流ながされなければ、罪つみが赦ゆるされることはない。

23 こうして、天てんにあるものの写うつしである地上ちじょうのものは、これらの血ちによって清きよめられる必要ひつようがあった。しかし、天てんにあるものそのものは、それよりもすぐれたささげ物ものによって清きよめられなければならなかった。

24 というのも、キリストが入はいられたのは、人ひとの手てで造つくられた聖せいなる場所ばしょではないからだ。それは本物ほんものの写うつしにすぎない。キリストは天てんそのものに入はいられた。そして今いま、わたしたちのために、神かみの前まえに姿すがたを現あらわしてくださっているのだ。

25 また、キリストは何なん度どもご自分じぶんをささげるために天てんに入はいられたのではない。大だい祭司さいしは、自分じぶんのものではない動物どうぶつの血ちを持もって、年ねんごとに聖せいなる場所ばしょに入はいる。キリストはそれとは違ちがうのだ。

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