ヘブル人への手紙 9章11-28節

キリストの血によるあがない(ヘブル9:11-28)

見出しは聖書本文ではなく、当サイトが付けたものです。

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11 しかしキリストは、すでに実現じつげんしたすばらしいものの大だい祭司さいしとして来こられた。そして、人ひとの手てで造つくられたのではない、もっと大おおきく、もっと完全かんぜんな幕屋まくやを通とおってこられた。それは、この世界せかいに属ぞくするものではない。

12 しかも、やぎや子牛こうしの血ちによってではなく、ご自分じぶんの血ちによって、ただ一いち度どだけ、最ももっとも聖せいなる場所ばしょに入はいられた。こうして、永遠えいえんの贖あがないを成なし遂とげられたのだ。

13 考かんがえてみてほしい。やぎや雄牛おうしの血ち、あるいは若わかい雌牛めうしを焼やいた灰はいは、汚よごれた人ひとにふりかけられると、その人ひとの体からだを清きよめ、聖せいなるものにする。

14 それなら、キリストの血ちはどれほどのことができるだろう。キリストは、永遠えいえんの霊れいによって、傷きずのない完全かんぜんなささげ物ものとして、ご自分じぶんを神かみにささげられた。その血ちは、わたしたちの心こころを、死しんだ行おこないから清きよめてくれる。そして、生いきておられる神かみに仕つかえることができるようにしてくれるのだ。

15 だからこそ、キリストは新あたらしい契約けいやくの仲立なかだちとなられた。それは、最初さいしょの契約けいやくのもとで犯おかされた罪つみから人々ひとびとを買かい戻もどすために、ご自分じぶんの死しをもって成なし遂とげられたことだ。こうして、神かみに招まねかれた人ひとたちは、約束やくそくされた永遠えいえんの恵めぐみを受うけ継つぐことができる。

16 遺言ゆいごんというものがある場合ばあい、それを残のこした人ひとが死しんだことが証明しょうめいされなければならない。

17 遺言ゆいごんが効力こうりょくを持もつのは、その人ひとが死しんでからだ。残のこした人ひとが生いきているあいだは、まだ何なんの力ちからもない。

18 だから、最初さいしょの契約けいやくも、血ちが流ながされなければ成り立たなりたたなかった。

19 モーセは、律法りっぽうにあるすべての戒いましめを民たみ全体ぜんたいに語かたったあと、子牛こうしの血ちを水みずとともに取とり、赤あかい羊毛ようもうとヒソプの枝えだを使つかって、その血ちを巻物まきものにも民たみ全体ぜんたいにもふりかけた。

20 そして、こう言いった。「これは、神かみがあなたたちに命めいじた契約けいやくの血ちだ。」

21 さらにモーセは、同おなじように、幕屋まくやにも、礼拝れいはいに使つかうすべての器具きぐにも血ちをふりかけた。

22 律法りっぽうによれば、ほとんどすべてのものは血ちによって清きよめられる。そして、血ちが流ながされなければ、罪つみが赦ゆるされることはない。

23 こうして、天てんにあるものの写うつしである地上ちじょうのものは、これらの血ちによって清きよめられる必要ひつようがあった。しかし、天てんにあるものそのものは、それよりもすぐれたささげ物ものによって清きよめられなければならなかった。

24 というのも、キリストが入はいられたのは、人ひとの手てで造つくられた聖せいなる場所ばしょではないからだ。それは本物ほんものの写うつしにすぎない。キリストは天てんそのものに入はいられた。そして今いま、わたしたちのために、神かみの前まえに姿すがたを現あらわしてくださっているのだ。

25 また、キリストは何なん度どもご自分じぶんをささげるために天てんに入はいられたのではない。大だい祭司さいしは、自分じぶんのものではない動物どうぶつの血ちを持もって、年ねんごとに聖せいなる場所ばしょに入はいる。キリストはそれとは違ちがうのだ。

26 もしそうなら、世界せかいが造つくられたときから何なん度ども苦くるしまなければならなかったはずだ。しかし実際じっさいには、キリストは今いま、時代じだいの終おわりに、ただ一いち度どだけ姿すがたを現あらわされた。ご自分じぶんをささげることで、罪つみを取とり除のぞくためだ。

27 人ひとには一いち度どだけ死しぬことが定さだめられていて、その後あとに裁さばきを受うける。

28 それと同おなじように、キリストも多おおくの人ひとの罪つみを背負せおうために、ただ一いち度どだけささげられた。そしてもう一いち度ど、今度こんどは罪つみとは関係かんけいなく、ご自分じぶんを待まち望のぞんでいる人ひとたちを救すくうために姿すがたを現あらわされる。

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