聖書の「理性」について
人が神と論じ、神が人と論じられること、人の理性の働きとその限界について取り上げます。
関連する聖句26箇所。分類はネーヴ『トピカル・バイブル』(1896年、英語原題 REASONING)によります。日本語の見出しと説明は当サイトによる訳で、聖書本文ではありません(未校閲)。
神と論じる
ヨブ記13:3 わたしは全能者にこそ話したい。神と論じ合いたいのだ。
神は人と論じられる
出エジプト4:11、出エジプト20:5、出エジプト20:11、イザヤ書1:18、イザヤ書5:3、イザヤ書5:4、イザヤ書43:26、ホセア書4:1、ミカ書6:2
出エジプト4:11 主はモーセに言った。「人に口を与えたのは誰だ。人を話せなくしたり、耳を聞こえなくしたり、目を見えるようにしたり、見えなくしたりするのは誰だ。この主であるわたしではないか。
人に生まれつき備わった理性
ダニエル書4:36 そのとき、わたしの理性がもどってきた。そして、わたしの国の栄光のために、わたしの威厳と輝きももどってきた。わたしの相談役や高官たちがまたわたしをたずねてきて、わたしは国の王としてしっかり立て直され、前よりもさらに大きな力を持つようになった。
敬虔な生活のために用いるべきもの
コリント第一10:15 わたしは、分別のある人に話すつもりで言う。今から言うことを、自分でよく考えて判断してほしい。
人の事柄において十分な導き手ではない
申命記12:8 わたしたちが今日ここでしているようなことを、あなたたちはしてはならない。今は各自が、自分の目に正しいと思うままに勝手なことをしている。
パリサイ人の論じ方
ルカ5:21 すると、律法学者たちやファリサイ派の人たちは考え始めた。「神を冒とくするこの男は、いったい何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪を赦せるというのか。」
聖書に基づいて論じたパウロ
使徒17:2 パウロはいつものように会堂に入り、三回の安息日にわたって、聖書をもとに人々と語り合った。
福音は理性では説明できない
コリント第一1:18-28 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものだ。でも、救われるわたしたちにとっては、神の力なのだ。 …