聖書の「懐疑」について

神の存在や力を疑い、信じようとしない態度について、パロやトマスの例を含む聖句をまとめています。

関連する聖句8箇所。分類はネーヴ『トピカル・バイブル』(1896年、英語原題 SKEPTICISM)によります。日本語の見出しと説明は当サイトによる訳で、聖書本文ではありません(未校閲)。

懐疑に関する聖句

ヨブ記21:15、ヨブ記22:17、詩篇14:1、詩篇53:1、ゼパニヤ書1:12、マラキ書3:14

ヨブ記21:15 全能ぜんのう者しゃとは何者なにものなのか。なぜわたしたちが仕つかえなければならないのか。祈いのったところで、何なんの得とくがあるというのか」と。

パロの懐疑

出エジプト5:2

出エジプト5:2 ファラオは言いった。「主しゅとは何者なにものだ。なぜわたしがその声こえに従したがって、イスラエルを去さらせなければならないのか。わたしは主しゅなど知しらない。イスラエルを去さらせるつもりもない。」

トマスの懐疑

ヨハネ20:25-28

ヨハネ20:25-28 ほかの弟子でしたちが「わたしたちは主しゅに会あったんだ」とトマスに言いった。でもトマスはこう答こたえた。「あの方かたの手てに釘くぎのあとを見みて、その釘くぎあとに自分じぶんの指ゆびを入いれ、わき腹ばらにこの手てを入いれてみなければ、わたしは決けっして信しんじない。」 …

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