聖書の「哲学」について

万物の本質や知恵、神の摂理をめぐる思索と、人間の哲学では神を知り救いに至るには足りないことを示す聖句です。

関連する聖句28箇所。分類はネーヴ『トピカル・バイブル』(1896年、英語原題 PHILOSOPHY)によります。日本語の見出しと説明は当サイトによる訳で、聖書本文ではありません(未校閲)。

万物の本質

伝道の書1章、伝道の書2章、伝道の書3章、伝道の書4章、伝道の書5章、伝道の書6章、伝道の書7章

知恵についての哲学的な議論

ヨブ記28章

神とその摂理についての推論

ヨブ記5:8-20、ヨブ記9章、ヨブ記10:2-21、ヨブ記12:6-24、ヨブ記33:12-30、ヨブ記37章

ヨブ記5:8-20 しかし、わたしであるならば、神かみに求もとめ、神かみに、わたしの事ことをまかせる。 …

摂理の奥義を明らかにする

箴言25:2、ローマ1:19、ローマ1:20

箴言25:2 事ことを隠かくすのは神かみの誉ほまれであり、事ことを窮きわめるのは王おうの誉ほまれである。

神を十分に知るには足りない

コリント第一1:21、コリント第一1:22

コリント第一1:21 この世よは、自分じぶんの知恵ちえによって神かみを認みとめるに至いたらなかった。それは、神かみの知恵ちえにかなっている。そこで神かみは、宣教せんきょうの愚おろかさによって、信しんじる者ものを救すくうこととされたのである。

イエス・キリストのあがないによる救いには足りない

コリント第一2:6-10

コリント第一2:6-10 しかしわたしたちは、円熟えんじゅくしている者ものの間あいだでは、知恵ちえを語かたる。この知恵ちえは、この世よの者ものの知恵ちえではなく、この世よの滅ほろび行いく支配しはい者しゃたちの知恵ちえでもない。 …

パウロの福音宣教の方法ではなかった

コリント第一1:17、コリント第一1:19、コリント第一1:21、コリント第一2:1-5、コリント第一2:13

コリント第一1:17 いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授さずけるためではなく、福音ふくいんを宣のべ伝つたえるためであり、しかも知恵ちえの言葉ことばを用もちいずに宣のべ伝つたえるためであった。それは、キリストの十字じゅうじ架かが無力むりょくなものになってしまわないためなのである。

ギリシヤの哲学の学派

使徒17:18

使徒17:18 また、エピクロス派はやストア派はの哲学てつがく者しゃ数すう人にんも、パウロと議論ぎろんを戦たたかわせていたが、その中なかのある者ものたちが言いった、「このおしゃべりは、いったい、何なんを言いおうとしているのか」。また、ほかの者ものたちは、「あれは、異国いこくの神々かみがみを伝つたえようとしているらしい」と言いった。パウロが、イエスと復活ふっかつとを、宣のべ伝つたえていたからであった。

ラビの哲学

コロサイ2:8、コロサイ2:16-19、テモテ第一6:20

コロサイ2:8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学てつがくで、人ひとのとりこにされないように、気きをつけなさい。それはキリストに従したがわず、世よのもろもろの霊力れいりょくに従したがう人間にんげんの言伝いいつたえに基もとづくものにすぎない。

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