ガラテヤ人への手紙 3章23節(ガラテヤ3:23)

23 しかし、信仰しんこうが現あらわれる前まえには、わたしたちは律法りっぽうの下もとで監視かんしされており、やがて啓示けいじされる信仰しんこうの時ときまで閉とじ込こめられていた。

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この節を含む箇所律法の目的ガラテヤ3:15-25

前後の聖句(3章21–25節)

21 では、律法りっぽうは神かみの約束やくそくと相あいいれないものか。断だんじてそうではない。もし人ひとを生いかす力ちからのある律法りっぽうが与あたえられていたとすれば、義ぎはたしかに律法りっぽうによって実現じつげんされたであろう。

22 しかし、約束やくそくが、信しんじる人々ひとびとにイエス・キリストに対たいする信仰しんこうによって与あたえられるために、聖書せいしょはすべての人ひとを罪つみの下したに閉とじ込こめたのである。

23 しかし、信仰しんこうが現あらわれる前まえには、わたしたちは律法りっぽうの下もとで監視かんしされており、やがて啓示けいじされる信仰しんこうの時ときまで閉とじ込こめられていた。

24 このようにして律法りっぽうは、信仰しんこうによって義ぎとされるために、わたしたちをキリストに連つれて行いく養育よういく掛がかりとなったのである。

25 しかし、いったん信仰しんこうが現あらわれた以上いじょう、わたしたちは、もはや養育よういく掛がかりのもとにはいない。

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