「説く」(とく)が出てくる聖書の箇所
「説く」(とく)は口語訳の23か所(旧約3・新約20)に出てきます。日常訳第1版では6か所。
列王紀上(1か所)
列王紀上4:32 彼はまた箴言三千を説いた。またその歌は一千五首あった。
箴言(1か所)
箴言25:15 忍耐をもって説けば君も言葉をいれる、柔らかな舌は骨を砕く。
イザヤ書(1か所)
イザヤ書54:17 すべてあなたを攻めるために造られる武器は、その目的を達しない。すべてあなたに逆らい立って、争い訴える舌は、あなたに説き破られる。これが主のしもべらの受ける嗣業であり、また彼らがわたしから受ける義である」と主は言われる。
マタイによる福音書(2か所)
マタイ21:32 というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。
マタイ28:14 万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。
ルカによる福音書(6か所)
ルカ3:18 こうしてヨハネはほかにもなお、さまざまの勧めをして、民衆に教を説いた。
ルカ4:21 そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
ルカ4:44 そして、ユダヤの諸会堂で教を説かれた。
ルカ8:1 そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。
ルカ24:25 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
ルカ24:32 彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。
ヨハネによる福音書(1か所)
ヨハネ12:38 それは、預言者イザヤの次の言葉が成就するためである、「主よ、わたしたちの説くところを、だれが信じたでしょうか。また、主のみ腕はだれに示されたでしょうか」。
使徒行伝(8か所)
使徒4:2 彼らが人々に教を説き、イエス自身に起った死人の復活を宣伝しているのに気をいら立て、
使徒4:18 そこで、ふたりを呼び入れて、イエスの名によって語ることも説くことも、いっさい相成らぬと言いわたした。
使徒9:20 ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。
使徒10:37 それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音を述べたものです。
使徒14:15 言った、「皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である。そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いているものである。
使徒15:1 さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。
使徒26:28 アグリッパがパウロに言った、「おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」。
使徒26:29 パウロが言った、「説くことが少しであろうと、多くであろうと、わたしが神に祈るのは、ただあなただけでなく、きょう、わたしの言葉を聞いた人もみな、わたしのようになって下さることです。このような鎖は別ですが」。
ローマ人への手紙(1か所)
ローマ2:21 なぜ、人を教えて自分を教えないのか。盗むなと人に説いて、自らは盗むのか。
テサロニケ人への第一の手紙(1か所)
テサロニケ第一2:13 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。
テモテへの第一の手紙(1か所)
テモテ第一1:3 わたしがマケドニヤに向かって出発する際、頼んでおいたように、あなたはエペソにとどまっていて、ある人々に、違った教を説くことをせず、