「見守る」(みまもる)が出てくる聖書の箇所
「見守る」(みまもる)は口語訳の11か所(旧約10・新約1)に出てきます。日常訳第1版では18か所。
創世記(1か所)
創世記31:49 またミズパとも呼ばれた。彼がこう言ったからである、「われわれが互に別れたのちも、どうか主がわたしとあなたとの間を見守られるように。
申命記(1か所)
申命記2:7 あなたの神、主が、あなたのするすべての事において、あなたを恵み、あなたがこの大いなる荒野を通るのを、見守られたからである。あなたの神、主がこの四十年の間、あなたと共におられたので、あなたは何も乏しいことがなかった」』。
士師記(1か所)
士師記18:6 その祭司は彼らに言った、「安心して行きなさい。あなたがたが行く道は主が見守っておられます」。
箴言(1か所)
箴言5:21 人の道は主の目の前にあり、主はすべて、その行いを見守られる。
エレミヤ書(2か所)
エレミヤ書31:6 見守る者がエフライムの山の上に立って呼ばわる日が来る。『立って、シオンに上り、われわれの神、主に、もうでよう』と」。
エレミヤ書44:27 見よ、わたしは彼らを見守っている、それは幸を与えるためではなく、災を下すためである。エジプトの地にいるユダの人々は、つるぎとききんによって滅び絶える。
エゼキエル書(4か所)
エゼキエル書3:17 「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家のために見守る者とした。あなたはわたしの口から言葉を聞くたびに、わたしに代って彼らを戒めなさい。
エゼキエル書33:2 「人の子よ、あなたの民の人々に語って言え、わたしがつるぎを一つの国に臨ませる時、その国の民が彼らのうちからひとりを選んで、これを自分たちの見守る者とする。
エゼキエル書33:6 しかし見守る者が、つるぎの臨むのを見ても、ラッパを吹かず、そのため民が、みずから警戒しないでいるうちに、つるぎが臨み、彼らの中のひとりを失うならば、その人は、自分の罪のために殺されるが、わたしはその血の責任を、見守る者の手に求める。
エゼキエル書33:7 それゆえ、人の子よ、わたしはあなたを立てて、イスラエルの家を見守る者とする。あなたはわたしの口から言葉を聞き、わたしに代って彼らを戒めよ。
使徒行伝(1か所)
使徒9:24 ところが、その陰謀が彼の知るところとなった。彼らはサウロを殺そうとして、夜昼、町の門を見守っていたのである。