「完全」(かんぜん)が出てくる聖書の箇所

「完全」(かんぜん)は口語訳の34か所(旧約13・新約21)に出てきます。日常訳第1版では69か所。

日常訳第1版で読む · 語句検索で探す

出エジプト記(1か所)

出エジプト17:14 主しゅはモーセに言いわれた、「これを書物しょもつにしるして記念きねんとし、それをヨシュアの耳みみに入いれなさい。わたしは天あめが下したからアマレクの記憶きおくを完全かんぜんに消けし去さるであろう」。

民数記(2か所)

民数記14:24 ただし、わたしのしもべカレブは違ちがった心こころをもっていて、わたしに完全かんぜんに従したがったので、わたしは彼かれが行いってきた地ちに彼かれを導みちびき入いれるであろう。彼かれの子孫しそんはそれを所有しょゆうするにいたるであろう。

民数記19:2 「主しゅの命めいじられた律法りっぽうの定さだめは次つぎのとおりである。すなわち『イスラエルの人々ひとびとに告つげて、完全かんぜんで、傷きずがなく、まだくびきを負おったことのない赤あかい雌牛めうしを、あなたのもとに引ひいてこさせ、

詩篇(2か所)

詩篇18:30 この神かみこそ、その道みちは完全かんぜんであり、主しゅの言葉ことばは真実しんじつです。主しゅはすべて寄より頼たのむ者ものの盾たてです。

詩篇19:7 主しゅのおきては完全かんぜんであって、魂たましいを生いきかえらせ、主しゅのあかしは確たしかであって、無学むがくな者ものを賢かしこくする。

イザヤ書(1か所)

イザヤ書1:6 足あしのうらから頭あたままで、完全かんぜんなところがなく、傷きずと打うち傷きずと生傷なまきずばかりだ。これを絞しぼり出だすものなく、包つつむものなく、油あぶらをもってやわらげるものもない。

エレミヤ書(2か所)

エレミヤ書50:13 主しゅの怒いかりによって、ここに住すむ者ものはなく、完全かんぜんに荒あれ地ちとなる。バビロンのかたわらを通とおる者ものは、みなその傷きずを見みて驚おどろき、かつあざ笑わらう。

エレミヤ書50:26 あらゆる方面ほうめんからきて、これを攻せめ、その穀倉こくそうを開ひらき、これを穀物こくもつの山やまのように積つみ上あげ、完全かんぜんに滅ほろぼし尽つくし、そこに残のこる者もののないようにせよ。

エゼキエル書(5か所)

エゼキエル書15:5 見みよ、これは完全かんぜんな時ときでも、なんの用ようをもなさない。まして火ひがこれを焼やき、これをこがした時ときには、なんの役やくに立たつだろうか。

エゼキエル書27:3 海うみの入口いりぐちに住すんで、多おおくの海沿うみぞいの国々くにぐにの民たみの商人しょうにんであるツロに対たいして言いえ、主しゅなる神かみはこう言いわれる、ツロよ、あなたは言いった、『わたしの美びは完全かんぜんである』と。

エゼキエル書27:4 あなたの境さかいは海うみの中なかにあり、あなたの建設けんせつ者しゃはあなたの美びを完全かんぜんにした。

エゼキエル書28:12 「人ひとの子こよ、ツロの王おうのために悲かなしみの歌うたをのべて、これに言いえ。主しゅなる神かみはこう言いわれる、あなたは知恵ちえに満みち、美びのきわみである完全かんぜんな印しるしである。

エゼキエル書28:15 あなたは造つくられた日ひから、あなたの中なかに悪あくが見みいだされた日ひまではそのおこないが完全かんぜんであった。

マタイによる福音書(2か所)

マタイ5:48 それだから、あなたがたの天てんの父ちちが完全かんぜんであられるように、あなたがたも完全かんぜんな者ものとなりなさい。

マタイ19:21 イエスは彼かれに言いわれた、「もしあなたが完全かんぜんになりたいと思おもうなら、帰かえってあなたの持もち物ものを売うり払はらい、貧まずしい人々ひとびとに施ほどこしなさい。そうすれば、天てんに宝たからを持もつようになろう。そして、わたしに従したがってきなさい」。

ヨハネによる福音書(1か所)

ヨハネ17:23 わたしが彼かれらにおり、あなたがわたしにいますのは、彼かれらが完全かんぜんに一ひとつとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛あいされたように、彼かれらをお愛あいしになったことを、世よが知しるためであります。

使徒行伝(1か所)

使徒3:16 そして、イエスの名なが、それを信しんじる信仰しんこうのゆえに、あなたがたのいま見みて知しっているこの人ひとを、強つよくしたのであり、イエスによる信仰しんこうが、彼かれをあなたがた一同いちどうの前まえで、このとおり完全かんぜんにいやしたのである。

コリント人への第一の手紙(1か所)

コリント第一13:12 わたしたちは、今いまは、鏡かがみに映うつして見みるようにおぼろげに見みている。しかしその時ときには、顔かおと顔かおとを合あわせて、見みるであろう。わたしの知しるところは、今いまは一いち部分ぶぶんにすぎない。しかしその時ときには、わたしが完全かんぜんに知しられているように、完全かんぜんに知しるであろう。

コリント人への第二の手紙(4か所)

コリント第二1:13 わたしたちが書かいていることは、あなたがたが読よんで理解りかいできないことではない。それを完全かんぜんに理解りかいしてくれるように、わたしは希望きぼうする。

コリント第二10:6 そして、あなたがたが完全かんぜんに服従ふくじゅうした時とき、すべて不ふ従順じゅうじゅんな者ものを処罰しょばつしようと、用意よういしているのである。

コリント第二12:9 ところが、主しゅが言いわれた、「わたしの恵めぐみはあなたに対たいして十分じゅうぶんである。わたしの力ちからは弱よわいところに完全かんぜんにあらわれる」。それだから、キリストの力ちからがわたしに宿やどるように、むしろ、喜よろこんで自分じぶんの弱よわさを誇ほころう。

コリント第二13:9 わたしたちは、自分じぶんは弱よわくても、あなたがたが強つよければ、それを喜よろこぶ。わたしたちが特とくに祈いのるのは、あなたがたが完全かんぜんに良よくなってくれることである。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ6:13 それだから、悪あしき日ひにあたって、よく抵抗ていこうし、完全かんぜんに勝かち抜ぬいて、堅かたく立たちうるために、神かみの武具ぶぐを身みにつけなさい。

ピリピ人への手紙(1か所)

ピリピ3:12 わたしがすでにそれを得えたとか、すでに完全かんぜんな者ものになっているとか言いうのではなく、ただ捕とらえようとして追おい求もとめているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕とらえられているからである。

コロサイ人への手紙(1か所)

コロサイ3:14 これらいっさいのものの上うえに、愛あいを加くわえなさい。愛あいは、すべてを完全かんぜんに結むすぶ帯おびである。

テサロニケ人への第一の手紙(1か所)

テサロニケ第一5:23 どうか、平和へいわの神かみご自身じしんが、あなたがたを全まったくきよめて下くださるように。また、あなたがたの霊れいと心こころとからだとを完全かんぜんに守まもって、わたしたちの主しゅイエス・キリストの来臨らいりんのときに、責せめられるところのない者ものにして下くださるように。

テモテへの第二の手紙(1か所)

テモテ第二3:17 それによって、神かみの人ひとが、あらゆる良よいわざに対たいして十分じゅうぶんな準備じゅんびができて、完全かんぜんにととのえられた者ものになるのである。

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル9:11 しかしキリストがすでに現あらわれた祝福しゅくふくの大だい祭司さいしとしてこられたとき、手てで造つくられず、この世界せかいに属ぞくさない、さらに大おおきく、完全かんぜんな幕屋まくやをとおり、

ヤコブの手紙(4か所)

ヤコブ1:4 だから、なんら欠点けってんのない、完全かんぜんな、でき上あがった人ひととなるように、その忍耐にんたい力りょくを十分じゅうぶんに働はたらかせるがよい。

ヤコブ1:17 あらゆる良よい贈おくり物もの、あらゆる完全かんぜんな賜物たまものは、上うえから、光ひかりの父ちちから下くだって来くる。父ちちには、変化へんかとか回転かいてんの影かげとかいうものはない。

ヤコブ1:25 これに反はんして、完全かんぜんな自由じゆうの律法りっぽうを一心いっしんに見みつめてたゆまない人ひとは、聞きいて忘わすれてしまう人ひとではなくて、実際じっさいに行おこなう人ひとである。こういう人ひとは、その行おこないによって祝福しゅくふくされる。

ヤコブ3:2 わたしたちは皆みな、多おおくのあやまちを犯おかすものである。もし、言葉ことばの上うえであやまちのない人ひとがあれば、そういう人ひとは、全身ぜんしんをも制御せいぎょすることのできる完全かんぜんな人ひとである。

ヨハネの第一の手紙(1か所)

ヨハネ第一4:18 愛あいには恐おそれがない。完全かんぜんな愛あいは恐おそれをとり除のぞく。恐おそれには懲こらしめが伴ともない、かつ恐おそれる者ものには、愛あいが全まっとうされていないからである。

ヨハネの黙示録(1か所)

黙示録3:2 目めをさましていて、死しにかけている残のこりの者ものたちを力ちからづけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神かみのみまえに完全かんぜんであるとは見みていない。

語句索引に戻る