「ねたむ」が出てくる聖書の箇所
「ねたむ」は口語訳の20か所(旧約15・新約5)に出てきます。「妬む」も含みます。日常訳第1版では20か所。
創世記(3か所)
創世記26:14 羊の群れ、牛の群れ及び多くのしもべを持つようになったので、ペリシテびとは彼をねたんだ。
創世記30:1 ラケルは自分がヤコブに子を産まないのを知った時、姉をねたんでヤコブに言った、「わたしに子どもをください。さもないと、わたしは死にます」。
創世記37:11 兄弟たちは彼をねたんだ。しかし父はこの言葉を心にとめた。
出エジプト記(2か所)
出エジプト20:5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、
出エジプト34:14 あなたは他の神を拝んではならない。主はその名を『ねたみ』と言って、ねたむ神だからである。
申命記(3か所)
申命記4:24 あなたの神、主は焼きつくす火、ねたむ神である。
申命記5:9 それを拝んではならない。またそれに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて三、四代に及ぼし、
申命記6:15 あなたのうちにおられるあなたの神、主はねたむ神であるから、おそらく、あなたに向かって怒りを発し、地のおもてからあなたを滅ぼし去られるであろう。
ヨシュア記(1か所)
ヨシュア記24:19 しかし、ヨシュアは民に言った、「あなたがたは主に仕えることはできないであろう。主は聖なる神であり、ねたむ神であって、あなたがたの罪、あなたがたのとがを、ゆるされないからである。
詩篇(3か所)
詩篇68:16 峰かさなるもろもろの山よ、何ゆえ神がすまいにと望まれた山をねたみ見るのか。まことに主はとこしえにそこに住まわれる。
詩篇73:3 これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。
詩篇106:16 人々が宿営のうちでモーセをねたみ、主の聖者アロンをねたんだとき、
イザヤ書(1か所)
イザヤ書11:13 エフライムのねたみはうせ、ユダを悩ます者は断たれ、エフライムはユダをねたまず、ユダはエフライムを悩ますことはない。
ゼパニヤ書(1か所)
ゼパニヤ書3:8 主は言われる、「それゆえ、あなたがたは、わたしが立って、証言する日を待て。わたしの決意は諸国民をよせ集め、もろもろの国を集めて、わが憤り、わが激しい怒りをことごとくその上に注ぐことであって、全地は、ねたむわたしの怒りの火に焼き滅ぼされるからである。
ゼカリヤ書(1か所)
ゼカリヤ書8:2 「万軍の主は、こう仰せられる、『わたしはシオンのために、大いなるねたみを起し、またこれがために、大いなる憤りをもってねたむ』。
使徒行伝(2か所)
使徒7:9 族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。しかし、神は彼と共にいまして、
使徒17:5 ところが、ユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。それからヤソンの家を襲い、ふたりを民衆の前にひっぱり出そうと、しきりに捜した。
コリント人への第一の手紙(1か所)
コリント第一13:4 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
ガラテヤ人への手紙(1か所)
ガラテヤ5:26 互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。
ヤコブの手紙(1か所)
ヤコブ4:5 それとも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。