「期待」(きたい)が出てくる聖書の箇所
「期待」(きたい)は日常訳第1版の12か所(旧約5・新約7)に出てきます。口語訳では6か所。
列王紀下(1か所)
列王紀下6:33 エリシャがまだ彼らと話しているうちに、その使いが下りてきた。そして王は言った。「見ろ、このわざわいは主から来たものだ。これ以上、主に何を期待すればいいのか。」
箴言(2か所)
箴言10:28 正しい人の望みは、喜びになる。でも悪い者の期待は、消えてなくなる。
箴言11:7 悪い者が死ぬと、その望みは消える。力をあてにした期待も、消えてなくなる。
エゼキエル書(1か所)
エゼキエル書13:6 彼らが見るのは偽りの幻、告げるのは嘘の占いだ。主は彼らを送ってなどいないのに、『主の言葉だ』と言う。それでも彼らは、自分の語ったことが実現すると期待している。
ハガイ書(1か所)
ハガイ書1:9 「あなたがたは多くを期待したのに、実際はわずかだった。それを家に持ち帰っても、わたしが吹き飛ばした。なぜか。それは、わたしの家が壊れたまま放っておかれているのに、あなたがたがそれぞれ自分の家のことで忙しく走り回っているからだ、と天の軍勢を率いる主は言われる。
ルカによる福音書(2か所)
ルカ23:8 イエスを見て、ヘロデはとても喜んだ。前々からイエスに会いたいと思っていたのだ。うわさをいろいろ聞いていて、イエスが何かしるしを行うのを見たいと期待していたからだ。
ルカ24:21 わたしたちは、あの人こそイスラエルを救い出してくれる方だと期待していました。しかもそれだけでなく、そのことが起きてから、今日でもう三日目になります。
使徒行伝(1か所)
使徒24:26 その一方でフェリクスは、パウロから金をもらえるのではないかと期待していた。だから何度もパウロを呼び出しては、話し込んでいた。
コリント人への第一の手紙(1か所)
コリント第一9:10 そうではなく、わたしたちのために言われているのではないか。もちろん、わたしたちのために書かれたのだ。耕す人は収穫を期待して耕し、脱穀する人は分け前をもらえると期待して働くべきだからだ。
コリント人への第二の手紙(2か所)
コリント第二8:5 しかもそれは、わたしたちの期待をはるかに超えていた。彼らは神のみこころにそって、まず自分自身を主にささげ、そしてわたしたちにもささげてくれたのだ。
コリント第二12:20 というのも、わたしは心配しているのだ。そちらに行ったとき、あなたたちが期待どおりの姿でなく、わたしのほうもあなたたちの望まない者だと思われるのではないか、と。そこには争いやねたみ、怒りや自分勝手な対立、悪口やかげ口、思い上がりや混乱があるのではないか。
ピレモンへの手紙(1か所)
ピレモン1:22 それと同時に、わたしの泊まる部屋も用意しておいてほしい。あなたたちの祈りによって、わたしがあなたたちのところへ帰らせてもらえると期待しているからだ。