「曲る」(まがる)が出てくる聖書の箇所

「曲る」(まがる)は口語訳の46か所(旧約39・新約7)に出てきます。「まがる」「曲がる」も含みます。日常訳第1版では18か所。

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民数記(2か所)

民数記20:17 どうぞ、わたしたちにあなたの国くにを通とおらせてください。わたしたちは畑はたけもぶどう畑はたけも通とおりません。また井戸いどの水みずも飲のみません。ただ王おうの大路おおじを通とおり、あなたの領地りょうちを過すぎるまでは右みぎにも左ひだりにも曲まがりません』」。

民数記22:26 主しゅの使つかいはまた先さきに進すすんで、狭せまい所ところに立たちふさがっていた。そこは右みぎにも左ひだりにも、曲まがる道みちがなかったので、

申命記(5か所)

申命記2:27 『あなたの国くにを通とおらせてください。わたしは大路おおじをとおっていきます、右みぎにも左ひだりにも曲まがりません。

申命記5:32 それゆえ、あなたがたの神かみ、主しゅが命めいじられたとおりに、慎つつしんで行おこなわなければならない。そして左ひだりにも右みぎにも曲まがってはならない。

申命記17:20 そうすれば彼かれの心こころが同胞どうほうを見みくだして、高たかぶることなく、また戒いましめを離はなれて、右みぎにも左ひだりにも曲まがることなく、その子孫しそんと共ともにイスラエルにおいて、長ながくその位くらいにとどまることができるであろう。

申命記28:14 きょう、わたしが命めいじるこのすべての言葉ことばを離はなれて右みぎまたは左ひだりに曲まがり、他たの神々かみがみに従したがい、それに仕つかえてはならない。

申命記32:5 彼かれらは主しゅにむかって悪あくを行おこない、そのきずのゆえに、もはや主しゅの子こらではなく、よこしまで、曲まがったやからである。

ヨシュア記(10か所)

ヨシュア記1:7 ただ強つよく、また雄々おおしくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命めいじた律法りっぽうをことごとく守まもって行おこない、これを離はなれて右みぎにも左ひだりにも曲まがってはならない。それはすべてあなたが行いくところで、勝利しょうりを得えるためである。

ヨシュア記15:9 その境さかいは、この山やまの頂いただきからネフトアの水みずの源みなもとに至いたり、その所ところからエフロン山やまの町々まちまちに及および、その境さかいは曲まがってバアラに達たっする。これは、すなわちキリアテ・ヤリムである。

ヨシュア記15:11 エクロンの北きたの丘おかのわきに出でて、シッケロンに曲まがり、バアラ山やまに進すすみ、ヤブネルに達たっし、海うみに至いたって尽つきる。

ヨシュア記16:6 その境さかいは、その所ところから海うみに及およぶ。北きたにはミクメタテがあり、東ひがしではその境さかいはタアナテシロで曲まがり、進すすんでヤノアの東ひがしに至いたり、

ヨシュア記18:14 西にしの方ほうでは、ベテホロンの南みなみにある山やまから南みなみに曲まがり、ユダの子孫しそんの町まちキリアテ・バアルに至いたって尽つきる。キリアテ・バアルはキリアテ・ヤリムである。これが西にしの方ほうの境さかいであった。

ヨシュア記18:17 北きたに曲まがってエンシメシにおもむき、アドミムの坂さかに対たいするゲリロテにおもむき、ルベンびとボハンの石いしに下くだり、

ヨシュア記19:12 サリデから、東ひがしの方ほう、日ひの出での方ほうに曲まがり、キスロテ・タボルの境さかいに至いたり、ダベラテに出でて、ヤピアに上のぼり、

ヨシュア記19:13 そこから東ひがしの方ほう、日ひの出での方ほうに進すすんで、ガテヘペルとイッタ・カジンに至いたり、リンモンに進すすんで、ネアの方ほうに曲まがる。

ヨシュア記19:29 それから、その境さかいはラマに曲まがり、堅固けんごな町まちツロに至いたる。またその境さかいはホサに曲まがり、海うみに至いたって尽つきる。そして、マハラブ、アクジブ、

ヨシュア記23:6 それゆえ、あなたがたは堅かたく立たって、モーセの律法りっぽうの書しょにしるされていることを、ことごとく守まもって行おこなわなければならない。それを離はなれて右みぎにも左ひだりにも曲まがってはならない。

サムエル記上(2か所)

サムエル第一6:12 すると雌牛めうしはまっすぐにベテシメシの方向ほうこうへ、ひとすじに大路おおじを歩あゆみ、鳴なきながら進すすんでいって、右みぎにも左ひだりにも曲まがらなかった。ペリシテびとの君きみたちは、ベテシメシの境さかいまでそのあとについていった。

サムエル第一20:30 その時ときサウルはヨナタンにむかって怒いかりを発はっし、彼かれに言いった、「あなたは心こころの曲まがった、そむく女おんなの産うんだ子こだ。あなたがエッサイの子こを選えらんで、自分じぶんの身みをはずかしめ、また母ははの身みをはずかしめていることをわたしが知しらないと思おもうのか。

サムエル記下(4か所)

サムエル第二2:19 アサヘルはアブネルのあとを追おっていったが、行いくのに右みぎにも左ひだりにも曲まがることなく、アブネルのあとに走はしった。

サムエル第二2:21 アブネルは彼かれに言いった、「右みぎか左ひだりに曲まがって、若者わかもののひとりを捕とらえ、そのよろいを奪うばいなさい」。しかしアサヘルはアブネルを追おうことをやめず、ほかに向むかおうともしなかった。

サムエル第二14:19 王おうは言いった、「このすべての事ことにおいて、ヨアブの手てがあなたと共ともにありますか」。女おんなは答こたえた、「あなたはたしかに生いきておられます。王おう、わが主しゅよ、すべて王おう、わが主しゅの言いわれた事ことから人ひとは右みぎにも左ひだりにも曲まがることはできません。わたしに命めいじたのは、あなたのしもべヨアブです。彼かれがつかえめの口くちに、これらの言葉ことばをことごとく授さずけたのです。

サムエル第二22:27 清きよい者ものには、あなたは清きよい者ものとなり、まがった者ものには、かたいぢな者ものとなられる。

列王紀下(1か所)

列王紀下22:2 ヨシヤは主しゅの目めにかなう事ことを行おこない、先祖せんぞダビデの道みちに歩あゆんで右みぎにも左ひだりにも曲まがらなかった。

歴代志下(1か所)

歴代志下34:2 彼かれは主しゅの良よしと見みられることをなし、その父ちちダビデの道みちを歩あゆんで、右みぎにも左ひだりにも曲まがらなかった。

ヨブ記(2か所)

ヨブ記5:13 彼かれは賢かしこい者ものを、彼かれら自身じしんの悪巧わるだくみによって捕とらえ、曲まがった者ものの計はかりごとをくつがえされる。

ヨブ記9:20 たといわたしは正ただしくても、わたしの口くちはわたしを罪つみある者ものとする。たといわたしは罪つみがなくても、彼かれはわたしを曲まがった者ものとする。

詩篇(1か所)

詩篇125:5 しかし転てんじて自分じぶんの曲まがった道みちに入はいる者ものを主しゅは、悪あくを行おこなう者ものと共ともに去さらせられる。イスラエルの上うえに平安へいあんがあるように。

箴言(8か所)

箴言2:15 その道みちは曲まがり、その行おこないは、よこしまである。

箴言4:24 曲まがった言葉ことばをあなたから捨すてさり、よこしまな談話だんわをあなたから遠とおざけよ。

箴言14:2 まっすぐに歩あゆむ者ものは主しゅを恐おそれる、曲まがって歩あゆむ者ものは主しゅを侮あなどる。

箴言17:20 曲まがった心こころの者ものはさいわいを得えない、みだりに舌したをもって語かたる者ものは災わざわいに陥おちいる。

箴言19:1 正まさしく歩あゆむ貧まずしい者ものは、曲まがったことを言いう愚おろかな者ものにまさる。

箴言21:8 罪つみびとの道みちは曲まがっている、潔白けっぱくな人ひとの行おこないはまっすぐである。 罪つみびとの道みちは曲まがっている、潔白けっぱくな人ひとの行おこないはまっすぐである。

箴言28:6 正まさしく歩あゆむ貧まずしい者ものは、曲まがった道みちを歩あゆむ富とめる者ものにまさる。

箴言28:18 正まさしく歩あゆむ者ものは救すくいを得え、曲まがった道みちに歩あゆむ者ものは穴あなに陥おちいる。

伝道の書(1か所)

伝道の書1:15 曲まがったものは、まっすぐにすることができない、欠かけたものは数かぞえることができない。

イザヤ書(1か所)

イザヤ書19:14 主しゅは曲まがった心こころを彼かれらのうちに混まぜられた。彼かれらはエジプトをして、すべてその行おこなうことに迷まよわせ、あたかも酔よった人ひとの物もの吐はくときによろめくようにさせた。

エレミヤ書(1か所)

エレミヤ書3:21 裸はだかの山やまの上うえに声こえが聞きこえる、イスラエルの民たみが悲かなしみ祈いのるのである。彼かれらが曲まがった道みちに歩あゆみ、その神かみ、主しゅを忘わすれたからだ。

マタイによる福音書(1か所)

マタイ17:17 イエスは答こたえて言いわれた、「ああ、なんという不ふ信仰しんこうな、曲まがった時代じだいであろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒いっしょにおられようか。いつまであなたがたに我慢がまんができようか。その子こをここに、わたしのところに連つれてきなさい」。

ルカによる福音書(2か所)

ルカ3:5 すべての谷たには埋うめられ、すべての山やまと丘おかとは、平たいらにされ、曲まがったところはまっすぐに、わるい道みちはならされ、

ルカ9:41 イエスは答こたえて言いわれた、「ああ、なんという不ふ信仰しんこうな、曲まがった時代じだいであろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒いっしょにおられようか、またあなたがたに我慢がまんができようか。あなたの子こをここに連つれてきなさい」。

使徒行伝(2か所)

使徒2:40 ペテロは、ほかになお多おおくの言葉ことばであかしをなし、人々ひとびとに「この曲まがった時代じだいから救すくわれよ」と言いって勧すすめた。

使徒20:30 また、あなたがた自身じしんの中なかからも、いろいろ曲まがったことを言いって、弟子でしたちを自分じぶんの方ほうに、ひっぱり込こもうとする者ものらが起おこるであろう。

ローマ人への手紙(1か所)

ローマ11:10 彼かれらの目めは、くらんで見みえなくなれ、彼かれらの背せは、いつまでも曲まがっておれ」。

ピリピ人への手紙(1か所)

ピリピ2:15 それは、あなたがたが責せめられるところのない純真じゅんしんな者ものとなり、曲まがった邪悪じゃあくな時代じだいのただ中なかにあって、傷きずのない神かみの子ことなるためである。あなたがたは、いのちの言葉ことばを堅かたく持もって、彼かれらの間あいだで星ほしのようにこの世よに輝かがやいている。

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