「いとう」が出てくる聖書の箇所
「いとう」は口語訳の18か所(旧約16・新約2)に出てきます。「厭う」も含みます。日常訳第1版では2か所。
出エジプト記(1か所)
出エジプト7:18 そして川の魚は死に、川は臭くなり、エジプトびとは川の水を飲むことをいとうであろう」』と」。
ヨブ記(7か所)
ヨブ記7:16 わたしは命をいとう。わたしは長く生きることを望まない。わたしに構わないでください。わたしの日は息にすぎないのだから。
ヨブ記9:21 わたしは罪がない、しかしわたしは自分を知らない。わたしは自分の命をいとう。
ヨブ記9:31 あなたはわたしを、みぞの中に投げ込まれるので、わたしの着物も、わたしをいとうようになる。
ヨブ記10:1 わたしは自分の命をいとう。わたしは自分の嘆きを包まず言いあらわし、わが魂の苦しみによって語ろう。
ヨブ記19:17 わたしの息はわが妻にいとわれ、わたしは同じ腹の子たちにきらわれる。
ヨブ記30:10 彼らはわたしをいとい、遠くわたしをはなれ、わたしの顔につばきすることも、ためらわない。
ヨブ記33:20 その命は、食物をいとい、その食欲は、おいしい食物をきらう。
詩篇(2か所)
詩篇22:24 主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。
詩篇139:21 主よ、わたしはあなたを憎む者を憎み、あなたに逆らって起り立つ者をいとうではありませんか。
箴言(2か所)
箴言5:12 言うであろう、「わたしは教訓をいとい、心に戒めを軽んじ、
箴言26:15 なまけ者は手を皿に入れても、それを口に持ってゆくことをいとう。
伝道の書(1か所)
伝道の書2:17 そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪しく見えたからである。皆空であって、風を捕えるようである。
エゼキエル書(3か所)
エゼキエル書6:9 あなたがたのうちののがれた者は、その捕え移された国々の中でわたしを思い出す。これはわたしが、彼らのわたしを離れた姦淫の心と、偶像を慕って姦淫を行う目をくじくからである。そして彼らはそのもろもろの憎むべきことと、その犯した悪のために、みずからをいとうようになる。
エゼキエル書11:18 彼らはその所に来る時、そのもろもろのいとうべきものと、もろもろの憎むべきものとをその所から取り除く。
エゼキエル書11:21 しかしいとうべきもの、憎むべきものをその心に慕って歩む者には、彼らの行いに従ってそのこうべに報いると、主なる神は言われる」。
ローマ人への手紙(1か所)
ローマ9:3 実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。
ヘブル人への手紙(1か所)
ヘブル12:2 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。