「あずかる」が出てくる聖書の箇所
「あずかる」は日常訳第1版の18か所(旧約3・新約15)に出てきます。「与る」も含みます。口語訳では67か所。
申命記(1か所)
申命記22:2 もしその仲間が近くにいなかったり、だれのものか分からなかったりしたら、その家畜を自分の家に連れて帰り、あずかっておきなさい。仲間がそれを探しに来たら、返してあげるのだ。
詩篇(1か所)
詩篇73:24 あなたは助言をもってわたしを導き、その後、わたしを迎え入れて栄光にあずからせてくださる。
イザヤ書(1か所)
イザヤ書37:2 そして、宮廷をあずかるエルヤキム、書記官シェブナ、それに祭司たちの長老を、みな粗布をまとった姿で、アモツの子である預言者イザヤのもとへ送った。
ローマ人への手紙(4か所)
ローマ5:2 わたしたちはまた、このイエスを通して、いま立っているこの恵みへと、信仰によって導き入れられた。そして、神の栄光にあずかる希望を胸に、喜んでいる。
ローマ6:3 それとも、あなたがたは知らないのだろうか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちは、みな、彼の死にあずかるために洗礼を受けたのだ。
ローマ6:4 だから、わたしたちはこの洗礼によって、キリストの死にあずかり、キリストとともに葬られた。それは、キリストが父の栄光によって死者の中から復活したように、わたしたちも新しいいのちを生きるためである。
ローマ9:23 あわれみの器にはご自分の栄光の富を知らせようとされた。それは、栄光にあずかるようにと、神があらかじめ用意しておいた器なのだ。
コリント人への第一の手紙(3か所)
コリント第一9:23 こうしたことをすべて、わたしは福音のためにしている。わたし自身も福音の恵みにあずかりたいからだ。
コリント第一10:16 わたしたちが感謝して受けるあの祝福の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂いて分け合うパンは、キリストの体にあずかることではないか。
コリント第一10:18 この世のイスラエルの民を見てみなさい。ささげ物を食べる人たちは、祭壇にあずかる仲間になっているではないか。
ピリピ人への手紙(1か所)
ピリピ1:7 あなたがたみんなのことをこう思うのは、当然のことです。あなたがたはいつもわたしの心の中にいるからです。わたしが牢につながれているときも、福音を弁護し、しっかり打ち立てているときも、あなたがたはみんな、わたしと共に神の恵みにあずかる仲間なのです。
テモテへの第二の手紙(2か所)
テモテ第二2:6 苦労して働く農夫こそ、まず最初に収穫の分け前にあずかるべきだ。
テモテ第二2:10 だからわたしは、選ばれた人たちのために、すべてを耐え忍んでいる。その人たちも、キリスト・イエスによる救いを受け、永遠の栄光にあずかってほしいからだ。
ヘブル人への手紙(2か所)
ヘブル3:14 わたしたちは、最初に抱いた確信を最後までしっかり持ち続けるなら、キリストにあずかる者となっているのだ。
ヘブル11:35 女たちは、死んだ身内が生き返って戻ってくるのを受け取った。一方で、拷問を受けても釈放を受け入れなかった人たちもいた。もっとすぐれた復活にあずかるためだ。
ペテロの第一の手紙(1か所)
ペテロ第一5:1 そこで、あなたたちの中の長老たちに、わたしはお願いする。わたし自身も同じ長老であり、キリストの苦しみを見た証人であり、やがて現れる栄光にあずかる者でもある。
ペテロの第二の手紙(1か所)
ペテロ第二1:4 そしてこの栄光とすばらしさを通して、尊く、この上なく大きな約束をわたしたちに与えてくださった。それは、あなたがたがこの約束によって神の性質にあずかる者となり、欲望によって世に広がる腐敗から逃れるためである。
ヨハネの黙示録(1か所)
黙示録20:6 この最初の復活にあずかる人々は、幸いである。そして聖なる者とされている。この人たちには、二度目の死が力を持つことはない。彼らは神とキリストに仕える者となり、キリストとともに千年の間、王として治めるのだ。