ヤコブの手紙 1章26節(ヤコブ1:26)

26 自分じぶんは信仰しんこうがあると思おもっていても、自分じぶんの舌したを制御せいぎょできず、心こころの中なかで自分じぶんをごまかしているなら、その人ひとの信仰しんこうは無む意味いみだ。

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この節を含む箇所聞くことと行うことヤコブ1:19-27

前後の聖句(1章24–27節)

24 自分じぶんの姿すがたをよく見みても、立たち去さったとたん、自分じぶんがどんな姿すがただったかをすぐに忘わすれてしまうのだ。

25 でも、自由じゆうを与あたえる完全かんぜんな律法りっぽうをじっと見みつめ、それを守まもり続つづける人ひとは違ちがう。聞きいてすぐ忘わすれる人ひとではなく、実際じっさいに行おこなう人ひとだ。そういう人ひとは、その行おこないによって幸いさいわいになる。

26 自分じぶんは信仰しんこうがあると思おもっていても、自分じぶんの舌したを制御せいぎょできず、心こころの中なかで自分じぶんをごまかしているなら、その人ひとの信仰しんこうは無む意味いみだ。

27 父ちちである神かみの前まえで、清きよく汚よごれのない信仰しんこうとはこういうものだ。それは、困こまっている孤児こじや未亡人みぼうじんを訪たずねて世話せわをすること、そして世よの汚よごれに染そまらないよう自分じぶんを守まもることだ。

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