マタイによる福音書 16章24-28節

自分の十字架を負う(マタイ16:24-28)

見出しは聖書本文ではなく、当サイトが付けたものです。

マタイ16章全体を読む

24 それからイエスは弟子でしたちに言いった。「わたしについて来きたい人ひとは、自分じぶんを捨すて、自分じぶんの十字じゅうじ架かを背負せおって、わたしについて来きなさい。

25 自分じぶんの命いのちを守まもろうとする人ひとは、それを失ううしなう。でも、わたしのために命いのちを捨すてる人ひとは、それを見みつける。

26 たとえ世界せかい中じゅうのすべてを手てに入いれても、自分じぶんのいのちを失うしなってしまったら、何なんの意味いみがあるだろう。人ひとは自分じぶんのいのちと引ひき換かえに、いったい何なんを差さし出だせるだろうか。

27 人ひとの子こは、父ちちの栄光えいこうを帯おびて、天使てんしたちとともにやって来くる。そしてそのとき、それぞれのおこないに応おうじて報むくいを与あたえるのだ。

28 よく聞きいてほしい。ここに立たっている人ひとの中なかには、人ひとの子こが王おうとして来くるのを見みるまで、決けっして死しなない人ひとがいる。」

聖書の箇所一覧